FC2ブログ
09 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 11

公園にて。 

 自転車に乗って近くにある大きな公園に行った。

  空は晴れたり曇ったりはっきりしない。

 土曜日だからか小さな子供連れの家族が多かった。

 公園内でフリーマーケットをやっていた。

 イチョウはまだほとんど黄葉していない。

 見上げていたら後ろでポトリと音がした。

 銀杏が落ちてきたのだった。

 樹のずっと上の方をよく見ると銀杏が鈴なりになっている。

 そういえば随分昔にここに

 銀杏を拾いにきたことを思い出したが、今はそんな人もいない。

 花壇では真っ赤なサルビアが咲いている。

 池では数羽のカモがのんびり泳いでいる。

 そんな風に

 秋の日は静かに暮れていく。


スポンサーサイト



[edit]

松本清張と旅のこと。 

 先日たまたまテレビで松本清張の特集番組を見た。見終わったら清張がまた読みたくなって何冊も読んでいる。主要作品はほとんど読んでいるのだが、何度読んでも面白い。この「砂の器」も過去何度も読んでいてあらすじも分かっているのだが、分かっていても面白い。

 清張の作品を読むときはそばに日本地図を置いておく。日本各地の地名が出てくるからだ。清張作品を読む楽しみはこの地図や時刻表を見る楽しみでもある。最も最近は鉄道と言えばほとんど新幹線のことだから、時刻表の存在感は限りなく薄れているが。

 この「砂の器」でも秋田県の「羽後亀田」(羽越本線)や島根県の「亀嵩」(木次線)といった物語の中で重要な位置づけの地名が登場する。どちらもあまり馴染みのない駅名だ。知っている人は少ないだろう。また中央線の塩山・勝沼・大月など比較的ポピュラーな駅名も出てくる。登場人物がそれらの地を訪れる様子を読んでいると、自分もそこを旅しているような楽しい気分になる。

 その秋田県や島根県の目的地に行くのに、小説中では夜行の急行で20時間もかかったりしているのだ。この風情(苦行と言ってもいいかもしれないが)は現在ではとても味わうことができない。在来線の急行や特急は次々に廃止され高速の新幹線にとって代わられているからだ。

 しかし過去数十年の間、なぜこれほど目的地に早く着くことばかり追求してきたのだろう。清張の作品の時代に20時間もかかった場所に今なら4、5時間で行くことが出来る。でもそのことに何の感動があるだろう。

 政府や国鉄(JR)がやってきたことは国民の利便性を考えてのことだろうか。おそらくそうではあるまい。鉄道を建設するためには多くの企業が携わる。車両を作る企業、トンネルを掘ったり橋を渡したり線路を敷設する建設・土木関連企業、送電や通信に関連する企業、そのほか様々な企業が関係している。つまりそれらの企業にいかに金を落とすかが重要だったのだ。在来線では大した金額にならないからより予算の大きい新幹線ばかり作ってきた。そしてそこに巨額の利権を求めて政治家が群がる。官僚もこの機に乗じて天下り先捜しに狂奔する。そんな構図が目に浮かぶ

 清張の作品を読みながらそんなことを考えると何だか白けてしまうが。いま清張作品のような旅のロマンを求めようとしてもほとんど不可能だろう。ローカル線は減便され廃線になった路線も多い。新幹線の開通によって在来線の普通列車や急行は次々に廃止されていく。近い将来日本の鉄道路線は新幹線だけになるのではないか。

 そんな状況だから昔を懐かしんでますます清張の作品を再読したくなるのである。現在は新幹線ばかりかリニアモーターカーが登場する時代だ。時速500キロで目的地により早く着くことにどれほどの意味があるのだろう。そんなものを作ることが利用者にとってどれほどの価値や利益があるのだろう。飛行機で行くのと一体何が違うのだろうか。もっとも中にはそれに乗ることを楽しみにしている人もいるのかもしれないが。

 思うことがある。新幹線やリニアモーターカーは確かに科学や技術の発展の結果だ。けれども同時に明らかに何かを失っている。それは「旅情」であり「文化」であり「日本の美しい風景」だ。中にはそんなものは必要ないという人もいるだろうか。

 しかし新型コロナウイルスの騒動が落ち着いたら、ローカル線の旅でもしたいものだなあ。それらがすべて消えてしまう前に。

20201024_075232 清張



[edit]

政治の劣化と退廃 その2 

 国立国会図書館がホームページ上には敷地内の禁煙をうたいながら、国会議員専用の喫煙室を設置していることが分かった。今後は廃止する方針というが、専門家は「なぜ国会議員だけ特権を認めたのか。国民の理解は得られない」と指摘する。


 この記事を読んで、北海道庁に続いてここでもこの体たらくかと思う。2018年に改正健康増進法が成立し、2020年4月から館内は国会と同様に原則禁煙が決まった。しかし同図書館は一般利用者や職員が利用する喫煙室は廃止する一方で、議員用の喫煙室は残したのだ。典型的なダブルスタンダードであり、明確な差別待遇だ。議員用の喫煙室は450万円かけて空調の改修を行い、2019年11月から運用している。ただし利用者が少ないことから運用開始1年となる来月13日に廃止する方針だという。批判が高まったので急遽そうしたのではないか。一般利用者が入れるエリアでないため禁煙にしなかったのだろうが、何という意識の低さだろう。図書館側が議員に忖度したのか、それとも国会議員側から圧力がかかったのかは知らないが、国会議員が偉いなどとはまったく思わないし、差別される筋合いも無い。もらっている高い給料分本来の仕事を真面目に働けと言いたいくらいだ。


 「政府が23日に開く新型コロナウイルス感染症分科会で、年末年始の休暇の延長を提言することがわかった。」という記事を見た。またまたおかしな話が急に浮上してきたものだ。

 来年1月4日の月曜日が仕事始めだという企業が多いと見られているが、これを11日の「成人の日」まで延ばすように呼びかけようということらしい。帰省や旅行や初詣が短期間に集中することによる混雑で、新型コロナウイルスとインフルエンザが同時流行するのを防止しようという趣旨なのだろう。もちろん新型コロナウイルスやインフルエンザの感染拡大の防止はもっとも重要だ。しかしこの呼びかけにはいくつかの疑問がある。

 ①この記事に出ていたのは分科会の尾身茂会長の写真だった。一つ目の疑問はこの呼びかけは尾身会長ではなく、菅首相がやるのだろうかということだ。安倍政権時代、新型コロナウイルス専門家会議と安倍政権の位置づけが非常に不明瞭だった。そして安倍首相は都合の悪いことだけを専門家会議に押し付けていたという印象が非常に強い。今回もその二の舞にならないかと個人的には懸念している。

 ②12月末が決算だという企業は多い。仕事始めを遅らせれば当然決算業務にも影響するだろう。あと1週間ほどでもう11月だ。今からその準備に間に合うのか。そのための対策は考えているのか。

 ③役所の窓口業務・銀行・病院・介護施設・保育所・学校などの対応はどうするのか。小売業・サービス業などの店舗の営業はどうするのか。

 ④1週間休みが伸びることで非正規雇用で働いている人たちの就労日が減って、当然収入が減少する。政府はその分の補てんは考えているのか。


 他にもまだあるかもしれないが、少なくともこれらの対応は正式に呼びかけをする段階で決定しているのか。その政府の具体的な対応の中身をはっきり国民に対して示すのか。

 それともこれは「緊急事態宣言や」「一斉休校」や「外出自粛」のように強いものではなく、単に口頭でお願いする程度の話なのか。そのあたりを「曖昧にせず」にはっきりさせ、合わせて「責任の所在を明確に」してもらいたいものだ。自分のような年金生活者は大した影響はないかもしれないが、そうではない国民は大勢いるのだから。




 

[edit]

政治の劣化と退廃 

 兵庫県知事と県議会議長の公用車をトヨタの高級車「レクサス」から昨年さらに高級な「センチュリー」に変更し、その2台分の7年間のリース代が2800万円から4200万円に跳ね上がったことに対して議会や県民から批判が高まっている。これに対する井戸知事の反論は「前のレクサスも5000㏄だった」「兵庫県内は広く高低差もある。そこを走るには信頼性が必要」「乗ればわかる」「レクサスもその前のセンチュリーもその程度の排気量が知事車にふさわしい」といった何とも酷いものだった。

 井戸知事は今年7月、兵庫県の新型コロナウイルス対策本部会議で「諸悪の根源は東京」と発言して批判され、その後発言を取り消した人物だ。平成13年から5期連続20年知事を続けている。74歳だがすでに「老耄」ということだろうか。経歴を見ると知事になる前は中央の官僚一筋だから、庶民感覚など皆無なのだろうが。しかし環境を考えて公用車はハイブリッドにしようとか電気自動車にしようとかいう発想は、端からないのだろうか。「率先垂範」などという発想は元よりないのか。自己の権威や虚栄心を満たすためには大排気量の高級車が必要だとしか考えていないのかもしれないが。


 改正健康増進法は議決機関について、喫煙所を除き屋内全面禁煙を定めており、北海道庁の庁舎に喫煙所はない。この道議会庁舎内で自民党道議らが法律に違反して喫煙していることが明らかになった。

 と思ったら今度は北海道議会で最大会派の自民党・道民会議内で、分煙のための喫煙所設置を求める動きが再浮上している、というニュースを見た。「分煙徹底のために早急に喫煙所を設置すべきだ」と主張しているようだ。これが事実ならただ呆れるしかない。時代の流れに完全に逆行している。彼らは道庁内にいる間だけでも禁煙することができないほどのニコチン依存症なのか。あるいは「道民の代表たる議員なのだからこの機会にタバコを止めよう」などという発想もないのか。一連の報道を見ると、逆に議員なのだから何でも許されるはずだと、特権意識を振りかざして驕り高ぶっているようにしか感じないが。


 こんなニュースばかり見ていると、劣化・退廃しているのは国政だけではないなと改めて思ってしまう。それらもすべて国民の民度のゆえなのだろうか。こうなると危ういのはアメリカだけでなく、日本もまったく同じだなと思わずにいられなくなる。

 朝からため息しか出ない。



[edit]

キース・ジャレットとケルン・コンサートのこと。 

 キース・ジャレットが2018年に発症した2度の脳卒中の後遺症で体がマヒし、公演活動に復帰できる可能性が低くなったという記事を見て驚いた。まだ74歳と若いのに。

 キースが1975年にドイツのケルンで行われたライブを2枚組のソロライブ・アルバムとして発表したのが全曲即興演奏の「ケルン・コンサート」だ。このアルバムは400万枚も売れて最も売れたジャズのソロ・アルバムとしても知られている。20代の前半にジャズなどほとんど聴かなかった自分が、なぜこのレコードを買おうとしたのかよく覚えていない。けれども初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れない。もっともこのアルバムをジャズではなくクラシックとして紹介されたとしてもそれほど違和感はなかったかもしれないが。一時期このレコードを毎日何度も飽きずに聴いていたが、あれからすでに40年以上経ってしまった。これも戻しようのない時の流れか。

 これがCD化されたときもすぐに買ってきた。その後彼を忘れていた時期もあったが、2013年と2014年の来日時に、家人と二人で渋谷にあるBunkamuraオーチャードホールに聴きにいった。この時も2回ともソロコンサートだった。キースはよほど日本が気に入っていたのか、日本に数多くやってきてもう200回近く公演を行っている。でも今回のニュースを見るともう今後の来日公演は望めないかもしれない。彼のファンにとってはショックだろう。彼の健康の回復を祈りたいと思う。

 若いころの思い出があることもその理由だが、キースのアルバムの中では「ケルン・コンサート」がもっとも好きである。それほど多くのアルバムを聴いているわけではないけれど。you tubeで動画を探したがなぜかカバーしたものしか見つからない。著作権の関係なのだろうか。それで仕方なく知らない演奏者のものを一つ選んだ。選んだのはもっとも好きなpartⅠだが、キース本人のタッチとはだいぶ違うから、聴いたことのない人はオリジナルのCDを聴いてほしいが。





[edit]

月下美人の開花 

 今月6日に蕾が膨らんできてから昨日の開花まで2週間以上かかった。このところの長雨や季節外れの低温が影響したのだろうか。

 しかし去年の開花は9月13日、一昨年は10月3日だった。毎年どうしてこれほど開花日が変わるのだろう。自分の経験からすると大体何の花も毎年それほど前後せず、大体同じころに咲くものだが。

20201006_092839 10月6日
10月6日

20201013_071413 10月13日
10月13日

20201021_191438 昨夜19時
昨夜19時

20201021_214624 昨夜22時
昨夜22時

20201021_230410 昨夜23時
昨夜23時

20201022_000041 昨夜0時
昨夜0時

20201022_051541 今朝5時
今朝5時

20201022_070955 今朝7時
今朝7時

20201022_122817 正午
正午前にはもうしぼみかけている。


 今年は時期が遅かった上に気温が下がってきたので開花するか心配だったが、なんとか開花してくれてほっとした。

来年以降の目標は2輪以上咲かせることなのだが。しかし毎年思うが本当に「美人薄命」である。


[edit]

カマドウマ 

 今日店のシャッターを開けたらドアの隅の方にカマドウマがいた。ずいぶん久しぶりにカマドウマを見た。

 カマドウマは別名「便所コオロギ」などと酷い名前で呼ばれている。多分嫌われ者なのだろう。じめじめしたところによくいるから、ナメクジ同様嫌われているのかもしれない。姿はコオロギや鈴虫などと大して変わらないと思うのだが。もっとも店の入り口にいたからといって、お客さんをたくさん呼び込んでくれるなどということはないだろうが。

20201021_124701 カマドウマ


 9月の訪日客が6か月振りに1万人を超えたというニュースを見た。それでも前年同月比では99.4%減なのだが。たしか去年の暮れには訪日外国人の数が3000万人を突破して、「来年は東京オリンピックもあるから4000万人を目指す」などと政府が息巻いていたように記憶している。それが新型コロナウイルスの感染拡大でオリンピックは1年延期になり(来年も開催できるか不透明だが)、上半期の訪日客は限りなくゼロに近づいてしまった。

 旅行業や観光業に携わっている人たちの中には「悪い夢を見ているようだ」と思っている人もきっと多いだろう。去年に比較した今年のこの惨状は「兵どもが夢のあと」というべきか「驕れるものも久しからず」というのか、「好事魔多し」か、あるいは「一寸先は闇」の好例なのか。自分などにはまったく影響も関係もないから、「そんなに外国人がやってきて、それでなくても狭い国土に人が多すぎる日本なのに」と思っていたが、この状態が死活問題だという人も多いのだろう。気の毒と言うしかない。しかし元の状態に戻るまでに一体何年かかるのだろうか。そもそも戻れるのだろうか。

 5時半になるともう辺りは真っ暗だ。ただ暗くなるのが早いだけで時間の長さはまったく変わらないのに、どうしてこの時期になると気分的にこれほど沈んでしまうのだろう。幹線道路にはヘッドライトの明かりがまぶしいくらいに溢れているのに、帰りの車のなかでこの曲が流れてきたら何だかしんみりしてしまった。





[edit]

 

 久しぶりに秋晴れになったので近所を散歩していた。無風流の自分でもいま街中で感じるのはやはり「秋」である。高い山の初冠雪のニュースが数日前にあったが、山では紅葉も随分進んでいるのだろう。

20201005_170145 秋の空C


20201020_151803ハナミズキ
近所でもハナミズキはすでに紅葉し、赤い実がなっている。

20201020_151815 山茶花
サザンカもいつの間にか咲き出した。

20201020_153626 シュウメイギク
シュウメイギクの同じ1本の株からなぜこれほど違う色の花が咲くのだろう。

20201020_153612 マリーゴールド
玄関前のコンクリートの割れ目に咲いたマリーゴールドも、最後の「狂い咲き」のような風情に。


どうやら秋晴れは今日明日だけのようだが。


[edit]

クマと世界農業遺産のこと。 

 今日の朝刊一面は「クマ出没 街中まで」という大きな見出しの記事だった。

 きのう石川県加賀市の駅のすぐそばのショッピングセンターの中にクマが出没して駆除された。買い物に来た人々の驚く顔を昨日のテレビニュースも伝えていた。このところクマの出没や襲われてけがをする人のニュースをよく目にする。今年度クマに襲われてすでに2人が死亡、22人がけがをしている。数年前から山菜取りの高齢者がクマに襲われて死亡するという事故が秋田県などで多く報じられるようになった。今年も被害が多いのは秋田・新潟・石川・長野など山の多い各県だ。

 クマが市街地に近い場所に現れるようになった原因は、森に人の手が入らずクマの生息域が広がったことだと言われている。従来は山林と市街地の間に「里山」という緩衝地帯があったが、高齢化で里山が放置され、緩衝地帯の役目を果たしていないということらしい。そんな時に餌となるドングリなどが不作になると、クマは人里の畑の柿やクリなどの餌を求めてやってくるというわけだ。猟友会の高齢化でなり手が減り駆除数が減っていることも背景にあると見られているが、もしクマ問題の根本的原因が高齢化にあるのだとしたらこの解決は非常に難しい。


 「世界遺産」は1972年のユネスコの総会で採択された、「『世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約』に基づいて、世界遺産に登録された文化財・景観・自然など人類が共有すべき顕著な普遍的価値を持つ物件のこと。移動が不可能な不動産が対象」と規定されている。

 「世界文化遺産」や「世界自然遺産」はよく聞くが、「世界農業遺産」が同様にあることを初めて知った。「世界農業遺産」は伝統的な農業・漁業・林業の技術や、それを取り巻く生物多様性の保全を目的に、2002年に国連食糧農業機関(FAO)が創設したもので、持続可能な農業の実践も重要視されている。

 調べたら日本でも「能登の里山里海」「トキと共生する佐渡の里山」「静岡の茶草場農法」「長良川の鮎」「静岡の水わさびの伝統栽培」など11箇所がすでに指定されているが、まったく知らなかった。

 その中の一つ宮崎県の「高千穂郷・椎葉村の山間地農林業」は2015年に指定された。この椎葉村をテレビ番組が紹介していてそれがとても興味深かった。ここでは「山間地農林業複合システム」を使って、標高の高い傾斜地での伝統農林業を後世に伝えようとしているのだが、そのひとつ焼き畑のやり方がとてもユニークだ。焼き畑による森林の消滅が地球温暖化の原因になるとして、アマゾン川流域や東南アジアの焼き畑農業は近年批判されることが多い。

 椎葉村の焼き畑は前年の秋にまず焼き畑をするエリアの木々や下草を伐採する。翌年この部分の焼き畑を行う。そしてそこに1年目はソバを、2年目はヒエ・アワ、3年目はアズキ、4年目はダイズの種をまいて収穫する。毎年種類を変えるのは連作障害を防ぐためだ。焼き畑で病虫害が駆除され燃えた灰が肥料になって無農薬・無肥料で十分収穫できるそうだ。そして6年目以降は何も作らず休閑期として20年~30年放置する。そうすると地力が回復して再び森林が再生する。この時にクリや桜・カエデ・ミズナラなど動物のえさになる植物を植える。そうするとこの木の実を食べにシカやイノシシ・クマなどの動物がやってきて人里には降りてこないのだということだ。この20年~30年の休閑期にはほかのエリアで順番に同様の焼き畑・ソバなどの栽培をするという繰り返しだ。

 アマゾンや東南アジアで同様の方法が可能なのか分からないが、この椎葉村のノウハウを伝えられないのかと思ってしまう。またここには現在のクマの被害やイノシシやシカが畑を荒らす被害を防ぐ方法のヒントがあるような気がするのだが。しかしこの農業は高齢者だけではおそらく難しいだろう。いかに若い人たちをこの循環農法に引き入れることが出来るかが大きなカギになるのだろう。

about002[1] 椎葉村B
about001[1]椎葉村C
about003[1]椎葉村D
about004[1] 椎葉村




[edit]

ブーメラン 

 今日の朝刊の3面の下三分の一くらいに菅首相の著作「政治家の覚悟」(文春新書)の大きな広告が出ていた。読んでいないので詳しい内容はまったく知らない。読むつもりもないが。

 これは2012年の自民党が野党だった時代に刊行されたものを改訂して今回出版したものだという。その過去の内容からある部分が削除されているという毎日新聞の記事を昨日見た。

「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」

 これは当時の旧民主党政権が東日本大震災時に、会議の十分な議事録を残していなかったことを当時菅氏が批判したものだが、今回の改訂版ではこの部分に関連する30数ページが丸々削除されているそうだ。

 先月思いもかけず首相に選出され、その意気込みを急遽表さなければならないと思ったのだろう。口下手な菅氏は過去の著作を最大限活用しようと考えたのだろうが、この部分がいかにもまずい。本人が気がついたのか、あるいは側近が助言したのか分からない。しかしこのまま出版すれば必ず指摘されると思ったのだろう。安倍政権の官房長官時代、「森友学園の国有地売却問題」「加計学園問題」「桜を見る会」などで政府に都合の悪い公文書や記録が改竄されたり廃棄された事実が次々に明らかになって、政権の中枢にいた菅氏は批判されていた。今回のこの部分の削除の背景はおそらくそういうことだろう。

 実は安倍政権の官房長官時代の記者会見で、政府の公文書管理の杜撰さに関連して記者がこの菅氏の著作の「議事録を残すのは当然云々」という部分を取り上げた。「誰の言ったことか知っているか」と聞かれて菅氏は「知らない」と即答している。

 当時の自民党の野党時代に、菅氏は自分が総理大臣になるなどとは夢にも思わなかったのではないか。これも「塞翁が馬」ということか。それとも「一寸先は闇」か。

 しかし政治家という人種は「二枚舌」や「言行不一致」などを恥じていたら生きていけないということなのだろう。「羞恥心」や「矜持」や「首尾一貫」など無用以外の何物でもない。「風見鶏」や「カメレオン」こそが政界で生き残る秘訣なのである。自分などはつくづく「まともな人間の勤まる商売ではないな」としか思えないが、多くの政治家は元来「まとも」などとは無縁である。

 「受けた恩は仇で返せ。かけた恩は一生忘れるな」
これは永田町で語られた格言らしいが、これを読んだだけで政界の異様さが想像できるというものだ。間違いなく「魑魅魍魎」が跋扈する世界だ。

81y3vSuvbcL._AC_UL480_QL65_[1]


[edit]

清張と鉄道のこと。 

 普段それほどテレビを熱心に見ているわけではない。これまではニュースと天気予報と興味のあるドキュメンタリー番組しか見なかった。それが最近テレビを買い替えて4K放送が見られるようになった。ここで結構興味深い番組を放送しているのである。

 昨日たまたま昼飯を食べながらこのNHK4K放送を見ていたら、「新日本風土記」の2時間スペシャルという番組をやっていた。この「新日本風土記」は過去何回か見たことがある。自分が若いころ大好きでよく見ていた「新日本紀行」の続編のような番組だ。そのスペシャル番組は今年5月に放送したものの再放送だったが自分は見逃していた。そのタイトルが「松本清張・鉄道の旅」だったので思わず食べていた箸も止めて見入ってしまった。

 松本清張の小説には多くの場所が登場する。寝台列車や当時まだ珍しかった飛行機や時刻表などもストーリーに関わる重要な小道具として結構出てくる。昨日の番組はそんな作品に出てくるゆかりの地や清張が取材のために訪れた場所が紹介されていて、清張ファンには堪らない番組だった。

 「点と線」の香椎
 「ゼロの焦点」の能登の羽咋や三明
 「砂の器」の亀嵩
 「不運な名前」の月形町
 「時間の習俗」の門司の和布刈
 「波の塔」の調布の深大寺

 そのほか小説中ではS市となっているが(おそらく佐賀市のことだと思われる)、野村芳太郎監督が映画化した「張り込み」の撮影時の佐賀市の、ロケを見る現地の興奮した人々の様子や石見銀山なども紹介されていた。

 自分も清張作品は若いころから随分読んでいたけれども、この番組の中で唯一「不幸な名前」という作品を読んだか読んでないかどうしても思い出せなかった。これは「明治時代最大の贋札事件」と言われた実際にあった「藤田組贋札事件」を取り上げたものだ。当時北海道の月形には西南戦争で捕えられた士族や政治犯を収容する集治監(刑務所)があった。この作品にはその贋札事件の犯人とされた熊坂長庵や初代典獄(刑務所長)の月形潔(月形町の名前はこの初代典獄の苗字から取られたらしい)の当時の様子が描かれている。そして後年この集治監を訪れた安田や伊田は、この犯人とされた熊坂長庵は冤罪だったと考えている。そこには維新直後の明治政府内の薩摩・長州の複雑な権力闘争や汚職が絡んでいたようである。しかしなぜこの作品の題名が「不幸な名前」なのか。それは主人公が平安時代の伝説上の盗賊熊坂長範の名前と一字違いだったという偶然が災いしたという嘘のような仮説に依っている。結局熊坂長庵の罪は晴らされることなく、彼は数年後そこで獄死している。

 「男はつらいよ」を見ていると、その中で毎回寅さんが香具師(やし=テキヤ)の啖呵売と呼ばれる口上を言う場面が出てくるが、その中に「泥棒の始まりが石川五右衛門ならば、ばくち打ちの始まりが熊坂の長範」が必ず出てくる。つまり熊坂長範は悪人として有名だったのだ。もっともだからといって一字違いで犯人にされていたのではたまらないが。

 このかつて監獄があった月形町には樺戸行刑資料館(現月形樺戸博物館)があって当時の監獄や囚人の様子を知ることが出来るらしい。自分は「撮り鉄」でも「乗り鉄」でもないので鉄道路線のことはよく知らないのだが、この小説の舞台の月形町は札幌から新十津川を経由して沼田まで走っていた札沼線の沿線にあった。その札沼線は1972年に石狩沼田ー新十津川間が廃線になり、今年5月には新十津川ー北海道医療大学間も廃止されたと書かれている。現在はもう月形町に列車で行くことはできないのかもしれない。

 清張の作品に登場する鉄路ですでに廃線になったところはこの札沼線だけでなく「ゼロの焦点」も同様だ。当時は羽咋から三明というところまで鉄道が走っていたがすでに今はない。1961年公開の映画ではヒロイン役の久我美子がこの路線に乗って三明の駅に降り立つ場面が出てくる。また「砂の器」の舞台亀嵩を通るJR木次線も現在廃線の危機に瀕している。並行してその西を走っていた島根県江津と広島県三次を結んでいた三江線は2018年3月に廃線となった。新幹線もまだなく夜行寝台や在来線の急行や特急が主力だった清張作品の時代は、今となってはまったく様変わりしている。その意味で今再度清張作品を読み返すとたまらなく懐かしいという人もたくさんいるだろう。

 現在新幹線は増々拡張され高速化している。現在新幹線が走っていないのは四国と山陰くらいしかない。それなのにJRはさらに現在最高速度時速500キロともいわれるリニア中央新幹線なるものを走らせようとしている。その一方で北海道を中心に過疎地の廃線が次々に決まる。乗客が減れば経営上存続できないというのは分からないではないが、このままでは地方の在来線は増々消えていく。国鉄が民営化されなければ果たしてこのような事態は起こらなかっただろうか。それは分からない。近い将来多くの路線が消滅して、小説や映画の中でしかもう見ることができない、知ることが出来ない、という哀しいことになるかもしれない。


20201020_162610 清張



[edit]

晴れない空と憂鬱 

 昨日中曽根元首相の合同葬が行われ、その様子がテレビでも報じられたが見たくもないので見なかった。昨年の死去以降中曽根元首相の実績(功罪というべきか)を報じるニュースが随分増えた。それで自分も改めて考えてみた。

 中曽根氏の首相在任期間は1982年11月~87年11月までの5年間だ。在任中に国鉄・専売公社・電電公社の3公社の民営化を推進したことが大きく取り上げられているが、民営化で国鉄がJRになった結果、特にJR北海道やJR四国といった収益率の低い会社が不採算路線を次々に廃線にしたことは、地域経済の衰退や過疎化に拍車をかけたのではないかという気はする。さらに競争原理が導入された結果組織内が効率重視の殺伐な雰囲気になったことも報じられていた。日本たばこ産業(JT)やNTTはあまり自分と縁がないので、民営化の結果組織が良くなったのか悪くなったのかは判然とは分からない。

 首相になる随分前の1954年当時から原発の推進に積極的に関与したことはよく知られている。また戦後首相として初めて靖国神社を公式参拝し、最後まで一貫した改憲論者だった。ロッキード疑惑やリクルート疑惑を巧妙にかわし、当時のレーガン米大統領と「ロン、ヤス」などと呼び合うような親密な関係をつくり対米協調路線の基礎を作ったのもこの人だ。「日本列島を不沈空母にする」などというとんでもない発言も、アメリカへの隷属化ともいえる当時の政策の象徴だ。安倍前首相は本当にこの中曽根氏を手本にしたような言動ばかり行ってきた。よほど心酔していたのだろう。

 中曽根政権は5年という長期政権だったが、戦後の自民党政権で5年以上の長期政権は5人しかいない。中曽根氏の他に最長の安倍氏が7年8か月、佐藤栄作が7年4か月、吉田茂が6年2か月、小泉純一郎が5年4か月だ。こうしてみると長期政権だった首相というのはみな国民(富裕でない)にとってほとんどいいことはひとつもやっていない。小泉は郵政民営化を始め構造改革や規制緩和に邁進して、派遣労働の緩和を推進し貧困と格差を恐ろしく拡大させた。非正規雇用が拡大した元凶はこの小泉だ。その小泉がなぜ当時あれほど国民に人気があったのかまったく理解できない。安倍前首相の数々の悪行は今更書くまでもないだろう。

 安倍政権を継承すると公言している菅政権が、長くても短くても多くの国民にとって歓迎されるような政策を行うとはとても思えないし、就任1か月にしてその兆候はすでに現れている。衆議院選挙が1年以内に行われることは間違いないが、残念ながら政権交代の可能性はほとんどない。であれば自民党の議席数が少しでも減少して強引な政権運営が減るように祈るしかない。しかし2000年以降増々日本は嫌な社会になってしまったとつくづく思う。そしてそれがさらに悪化するような嫌な予感しか最近は持つことが出来ない。今の日本は長生きしたくない国になってしまった。もちろん今の日本を歓迎している人たちも大勢いるのだろうが。


20201018_094719 エキナセア

エキナセアは夏の間元気がなかったが、涼しくなると共に復活してきてまた花を咲かせている。



[edit]

半世紀 

 昨日は終日冷たい雨が降っていた。気温も14度くらいまでしか上がらず、室内にいてもあまりに寒いので思わずエアコンの暖房を使ってしまった。数日前まで夏日の日があったりして扇風機さえ使っていたのに、まるで違う国にやってきたようだ。

 今朝テレビの4K放送を見ていたら、昔の懐かしい特撮ドラマ「ウルトラセブン」を放送していた。4Kリマスター処理によって鮮明で美しい画像に変身したというのがうたい文句らしい。このシリーズ第3作が放送されたのは1967年(昭和42年)10月~68年9月だ。シリーズの第1作「ウルトラQ」が1966年1月~7月、2作目の「ウルトラマン」が66年7月~67年4月、いずれにしてももう50年以上も前のことだ。あのころ毎回テレビの前で夢中になって見ていたのを思い出す。「特撮」などという言葉を初めて聞いた頃のことだ。

 当時の「特撮」も最新の精巧なCG技術に比べれば小学生の学芸会並みのレベルだと今になれば思うが、当時としては画期的な技術と内容だったのだろう。年齢的に自分は3作以降は見ていないが、その後もこのシリーズは続いていたから子供達には随分人気があったのだと思う。技術面は別にして、その内容の素朴さは当時の世相を反映していたのだろうか。それとも子供たちがそれほど純朴だったということか。当時はテレビ全盛で大人も子供もテレビに夢中になっていた頃だが、今のように娯楽の選択肢が多くなかった時代だったのだ。

 当時は東西冷戦真っ只中の時代で、1964年のトンキン湾事件を口実にアメリカ軍が北爆を開始したのが1965年のことだ。第1作の「ウルトラQ」の放送が開始されたのは正にこのベトナム戦争開始直後のことだった(当時田舎の子供だった自分はそんなことはまったく分からなかったが)。地球を侵略しようとする悪い宇宙人から地球を守る「地球防衛隊」という発想はこの東西冷戦やベトナム戦争と何らかの関係があるだろうか。全地球が一つになって宇宙人と戦うというシチュエーションがもし当時現実にあったら、世界の国々はもっと団結して融和的になっただろうか。その後の内戦や紛争は防げただろうか。今更このようなことを言うと、一笑に付されるかもしれないが。

 
 昨夜また「男はつらいよ」シリーズのDVDを引っ張り出してきて第17作「寅次郎夕焼け小焼け」を見た。もう何回見たか思い出せないがこの作品はシリーズ中でも人気の高いものの一つらしい。理由は何といってもマドンナ役の太地喜和子の魅力だろう。この作品にはいくつもの教訓が含まれている。「人間を外見で判断してはいけないということ」「自分を思ってくれる人の存在はどんな大金にも代えられない価値があるということ」「無私の愛ほど崇高な愛はないということ」「世の中には地位や権威や名声よりも大事なことがたくさんあるということ」などなど。もちろん作品中でそんなことが声高に叫ばれるわけではない。映画を見てそれを感じる人は感じるが、そう感じない人もいるだろう。この作品の劇場公開は1976年だからもう44年も前のことだ。しかし何度見てもそんな古さはまったく感じないことに驚く。画面に出てくる風景や事象が今とまったく違うのは間違いないのだが。ただ人と人とのつながりや人情は、残念ながら当時とはずいぶん変わってしまったのかもしれないが。

 太地喜和子はこの作品公開当時33歳だった。そしてその15年後、伊豆での公演旅行中に乗っていた車が海中に転落するという不慮の事故によって48歳で亡くなった。本当に人の一生は分からない。そんな事故のことを思いながらこの作品の中の太地喜和子を見ていると、役柄がネアカの芸者だけに余計に切なくなってくる。


 このところコロナ禍によって生活が困窮した人たちを報じたテレビや新聞のニュースをよく見るようになった。また同時にそれに起因する犯罪が増えていることも。持続化給付金の詐欺行為をした人から「軽い気持ちで受け取ってしまった」という自首の相談が全国の警察に1600件以上も寄せられているそうだ。SNSなどでこの不正を勧誘する複数のグループがあることが報じられている。新手のオレオレ詐欺のようなものだが、コロナ禍が新しい資金源として利用されているのだろう。本当に悪党というのは様々な悪事を次々に思いつくものだ。しかし生活の困窮だけでなく、心まで荒廃してしまう人たちがこれ以上増えなければいいけれど。


20201018_094657 ホトトギス



[edit]

福島の魚はどうなるか。 

 政府は、放射性物質トリチウムを含んだ福島原発の汚染処理水を海洋放出する方針をついに決めたようだ。こうなることは汚染地下水の発生が報じられた数年前から分かっていたことだが。

 漁業関係者などは「風評被害が起こる」と猛反対している。しかし原発事故からもうすぐ10年になる今、政府は福島地域以外の国民の関心が下がってきたと見越したのか。2022年度中に処理水の貯蔵タンクが満杯になることは以前から分かっていた。海洋放出以外にも気化して大気中に放出するなどほかの方法もある。様々な理由をつけて海洋放出に持っていこうとしている理由は、もっともコストがかからず作業も容易だということ以外にはない。政府も東電も極力金は使いたくないのだ。そのことによって漁業者を始め周辺住民が苦しめられるとしても。

 しかし問題は今あるタンク内の汚染処理水をすべて海洋放出すれば済むというわけではないことだ。今後も地下水の流入は続き汚染水は日々発生する。廃炉作業が終了して原発の施設がすべて完全に撤去されない限り、この汚染水問題は片付かない。そして廃炉作業に今後何十年かかるのかさえ見通せない。もしかしたら不可能かもしれないのだ。この大量の海洋放出によって何が起こるのかはまったく予測できない。未知の経験だからだ。もしその結果を予測できる人がいたら聞いてみたいものだ。

 このような中で、東日本大震災で被災した東北電力女川原発2号機の再稼働に、宮城県の村井知事は11月にも同意する見通しであることが明らかになった。これで女川原発は2023年には再稼働する可能性が出てきた。いつまた大津波がやってくるか分からない場所に立地する原発なのに。こうして国によって外堀は次々に埋められていく。まるで大坂の陣だ。落城は間近ということか。しかし日本という国が落城したら一体どうなるのか。

 これほどの惨禍を経験しながら原発の再稼働を諦めない人たちというのは、自分からすれば「まともではない」。そしてそれは日本で新型コロナウイルスの感染拡大が完全に終息せず、欧州では爆発的な二次感染が起きているというのに、相変わらず経済優先の舵を切り続ける政府や経済界もまったく同様に見える。どうしてこれほどまともではない人たちばかりなのか。

20200918_173916 パルコ




[edit]

いつになったら晴れるのか。 

 朝新聞を取りに外へ出たら随分寒かった。未だに夏の格好をしているから当たり前なのだが、今日は最高気温が20度に届かないと予報で言っていた。秋は深まっている。

 日本郵便の契約社員が起こしていた裁判の最高裁判決が昨日出され、「扶養・年末年始勤務・祝日給・夏休み冬休み(有給)・病気休暇(有給)」の五つの手当て、特別給がすべて正社員並みに認められた。13日の他の同様の裁判では退職金・ボーナスなどが認められなかったばかりだが。どうもこの種の裁判で最高裁での判断も揺れ動いているようだ。

 しかし企業にとって非正規雇用をすることにそれほどメリットがないと認識されなければ、非正規雇用問題の解消につながらない。最高裁がこのような判決を次々に出すことが正社員化につながるのだ。政府の政策など何も期待できないのだから。

 
 欧州で新型コロナウイルスの「第二波の感染爆発」が起きている。フランスでは1日の新規感染者がついに3万人を超え、連日100人以上の死者も出ている。パリやマルセイユといった都市部では夜間の外出禁止の措置が取られている。イギリスやスペインでも状況はそれほど変わらない。経済復興を優先し、行動規制を大幅に緩めた結果、4月・5月ころの状態に戻ってしまった。感染拡大を防ぎきれず、経済も回復しないという悪循環に陥っている。しかし各国とも春に行ったような感染防止対策や経済対策に回す巨額の予算はすでにない。果たして今後どうなるのか。

 一方日本では「gotoトラベルキャンペーン」だ「gotoイート」だと浮かれ、政府は入国制限の緩和方針さえ打ち出している。今度は横浜スタジアムで満席に近い状態で観客を入れた検証実験を10月30日~11月1日に行うのだという。自分などは「正気の沙汰ではない」としか思えないのだが、多くの国民はそんなことは感じていないのだろうか。欧州のような「第二波の感染爆発」が起こらないように祈るばかりだが。

 
 中曽根元首相の合同葬に合わせて弔意を表すように政府が国立大学などに通知した問題に批判が出ているが、そんな批判の中で「内心の自由」という普段あまり使われない言葉が出てきた。「内心」というのは文字通り「心の中」ということで、「内心の自由」とは「どのような思想・良心・信仰・学問を持とうとそれは個人の自由である」ということを意味している。それは他人から一切干渉されない自由のことだろう。憲法19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と明記されている。

 中曽根元首相の功績を評価する人もいるだろう。逆にまったく評価しない人もいるだろう。関心がない人もいるだろう。合同葬でも国葬でもいいと思う人もいるだろう。それでいいのである。誰がどう思おうと自由だ。そこに国や政府が介入する余地も必要もないし権利もない。弔旗掲揚や黙とうによって弔意を表すように通知したのは「強制ではない」と政府は言う。強制でなくとも権力がそう言えば「無言の圧力」になるのである。そして政府はそんなことは分かっていながら巧妙にそれを使う。

 学術会議の問題で明らかになったことがある。菅政権のやっていることは、

「納得のいく説明がない」

「意思決定のプロセスが不透明」

「論点のすりかえで批判をかわす」

 正に安倍政権とまったく同じである。「森友・加計」「公文書改竄」「桜を見る会」の構図と今回の学術会議問題は驚くほどまったく同じだ。菅首相が発足時に「安倍政権を継承する」と言った言葉にたしかに嘘はなかった。


 昨日古本屋に行ったら高校の授業で使う地図を売っていたので買ってきた。もう30年も前のものだが地図が好きだから別にいつのものでもいいのである。30年経つと地図上で変わったところもあれば何も変わらない場所もある。歴史の変化の激しさに比べれば地理上の変化はわずかなのかもしれないが、実際は現地に行かなければその変化には何も気づかないだろう。地図を見ながらそんなことを考えていた。それほど遠い場所でなくとも、新型コロナウイルスが本当に終息すれば行きたい場所に気兼ねなく自由に行けるのだろうが。本当に早くその日がこないかと思う。


20201016_071508 地図



[edit]

「昔」読んだ本のこと。 

 「若いときに読んだ本のなかでももっとも重要なものを、人生のある時期に、もう一度読んでみることが必要だ。」

 これは今日の朝刊のコラム「折々のことば」で紹介されていたイタリアの国民的作家イタロ・カルヴィーノの言葉だ。

思わず頷いてしまった。同じ作品でも読んだ時期、つまりその時の自分の年齢・環境・立場・精神の安定度などによって読んだ後の感じ方はまったく違う。それはおそらく誰でも同じように感じることではあるまいか。それは年齢と共に失敗や挫折といった経験を重ね、今まで受け入れられなかったことも受容出来るようになった結果ということもあるかも知れない。

 自分も2年ほど前、夏目漱石の主要な作品を全部再読してみたが、若い時に感じた読後感とはまったく異なっていることに気がついた。読者としての視点が変わるし、どの登場人物により感情移入しやすいかということも全く変わっていた。善悪の判断すら変わる。それはどちらがいいなどという単純なことではもちろんないが。自分の中の二人の年齢が離れていればいるほど、その感じ方の違いもまた大きくなるのかもしれない。しかし本の読み方・感じ方によって二人の自分自身の内面を比較してみるというのも興味深いことではある。

 それでたまたま数日前に買っていた(活字の大きくなった高齢者向けの)ファラデーの、名著の呼び声も高い「ロウソクの科学」を読み始めた。これは1861年のクリスマス講演としてロンドンの王立研究所で催されたものを記録したものだ。日本で言えば幕末の坂本龍馬などが活躍していたころのことだ。この訳書も初版が出版されたのが1962年(昭和37年)だから、この書はまさしく「古典」といって間違いない。読み返すことによって、果たして若いころとどのような感じ方の違いを発見することができるか。

20201015_073635 ロウソクB


[edit]

真っすぐ飛べない。 

 今週17日に中曽根元首相の政府・自民党の合同葬が実施されるのに合わせて、政府・文科省が全国の国立大学などの教育現場に、弔旗の掲揚や黙とうを行うことで弔意を表明するよう求めていることが明らかになった。

 「思想統制だ」などと教育現場からは批判が出ている。そもそもこの合同葬には当初から批判が多かった。合同葬の費用約1億9000万円を自民党と政府が折半し、政府が9600万円という高額な費用を負担することになっているからだ。もちろん政府分は国費であり国民の税金を使うということだ。なぜ自民党葬にして党の費用だけで行わないのか。

 個人的に中曽根元首相を今も昔も支持していないし、その実績もまったく評価していない。もちろん国葬に値するなどとは金輪際思わない。自分としては右傾化・軍国化や対米追随を強めた首相としてしか見ていない。ロッキード疑惑を上手くかわした、日本を駄目にした最悪のタカ派首相の一人だと思っている。だからそのような人物の葬儀に税金が使われることには到底納得が出来ない。多くの国民がどう思っているかは分からないが、全員が合同葬を支持しているわけではあるまい。亡くなった人の批判はあまりしたくはないが、自分としては合同葬の是非を国民投票にかけてほしいくらいだ。記者会見で弔意表明について問われた加藤官房長官は「協力を求める趣旨で、強制を伴うものではない」と強調したが、このようなやり方をすれば忖度したり嫌々従わざるを得ないのは当たり前だ。いつもながらの姑息な言い訳だ。

 しかし学術会議の推薦拒否の明確な理由も述べないことに続いて、今回の政府・文科省の教育現場に対する理不尽な介入とも思える通達を見ていると、本当に日本の右傾化が急速に強まっているとしか思えない。安倍前政権は靖国参拝・憲法軽視・国会軽視などを続けてそのような右傾化を着々と進めてきたが、菅内閣はその路線を踏襲するどころかさらに強化しようとしている。とんでもない内閣だということが徐々に明らかになってきた。

 国民一人一人が声を上げなければ本当に危うい。今の日本はそんな危険な状況になっている。この危うさは新型コロナウイルスの致命的な感染拡大に勝るとも劣らない。


[edit]

懐かしい水栽培のこと。 

 正社員と同じ仕事なのに賞与や退職金がないのはおかしいと原告側が訴えていた2件の裁判で、最高裁はいずれも「不合理とまでは言えない」と退けた。一部の支給を認めていた高裁判決をも否定したのだ。

 国や政府は常に企業寄り・経営寄りであって、国民や労働者の立場に立つことなどあり得ない。裁判所までが国同様に経営寄りの判断をしたら弱い立場の労働者は救われない。第三者の目で見てどちらとも言えないという部分があるのであれば、裁判所は常に国民寄り・労働者寄り、つまり弱者の側に立つべきではないのか。このような判決を出すことが法律家のやることか。本当に今の日本には「法の正義」も「三権分立」もない。なぜ裁判官がこれほど「政治化」してしまったのか。

 働き方改革関連法案が成立し、今年4月から施行された(中小企業は2021年4月から)。これにともなって多くの企業で同一労働・同一賃金ルールにのっとった賃金制度の見直し、就業規則や賃金規定の改定が必要になった。そんな流れの中での今回の判決にさらに納得できない気分だ。

 安倍前首相は散々「働き方改革」や「同一労働・同一賃金」を叫んできたが、それを本気でやろうとしていたのかは甚だ疑問だ。もちろんこの政策は労働者にとってはメリットが大きいが、逆に企業・経営側にとっては人件費が高騰してデメリットの方が大きいからだ。常に企業側に立ってきた安倍前首相が本心からこれをやろうとしていたなどとはとても信じられない。単に選挙対策用のポピュリズムだったのではあるまいか。あるいはアベノミクスが破綻して低迷する経済を立て直すには、この政策を導入して生産性を上げる以外に有効な方策はないと判断したのか。

 経済にまったく素人の自分が考えるに、現在の日本経済を好転させるには非正規雇用の比率を下げるしかないのではないか。そのためには企業がため込んだ莫大な内部留保を吐き出すべきではないのか。今まで散々儲けてきたのだからたまには社会のために使ったらどうなのか。そんなことを考えると今回の最高裁判決は本来の働き方改革の流れに水を差す以外の何物でもない、としか思えない。経済の専門家がどう思っているかは知らないが。


 昨日近くの園芸専門店に行ったら球根を売っていた。それを見ていたら突然水栽培がやりたくなってきた。それでヒヤシンスとクロッカスの球根とガラス容器を買った。球根の水栽培など小学生の時以来やったことがない。あのころ教室の後ろにヒヤシンスの水栽培の容器が置いてあって、管理の担当を決めたり栽培記録をつけたりした記憶があるが、細かなことはもう忘れてしまった。今も小学校では理科の授業の一環として水栽培などやるのだろうか。芽や根が伸びてくるのが待ち遠しいが、とにかく見ているだけで懐かしい。

 ホームセンターに比べて専門店はやはり花の種類が豊富だ。球根のほかに色が鮮やかなミニシクラメンと前から欲しかった白の秋明菊とコスモスの苗も買った。ついでにパセリとミントも買った。

 やっと涼しくなってきて庭仕事をやりたくなる陽気だ。

20201014_064935 水栽培
20201014_065036 ミニシクラメン
20201014_065226 シュウメイギクとコスモス



[edit]

読書と秋のこと。 

 昨夜珍しく2時過ぎまで本を読んでいたせいで、今朝目が覚めたらもう6時だった。久しぶりに朝からよく晴れている。昨日の天気予報でも今日は全国的に秋晴れだと言っていた。

 例年この時期になると所沢市上空でも輸送機の飛ぶ音が賑やかになる。11月上旬に隣の入間市にある航空自衛隊入間基地で「航空祭」が開かれるので、その訓練飛行が行われるためだ。輸送機が中心で戦闘機は配備されていないので他の基地周辺のように騒音が耐えられないというレベルではない。しかし調べたら今年は新型コロナウイルスの感染を考慮して航空祭の中止が決まったようだ。航空ファンはさぞがっかりしているだろう。屋外のイベントが中心といっても毎年20万人もの人が集まる大イベントだから中止も止むを得まい。30年以上前からこんな近くに住んでいながら一度も見に行ったことがない。航空機に興味がないこともあるが、もし新型コロナウイルスの感染がなくても、そんな混雑の中に行くことを考えただけで目が回ってくる。

 隣の家の柿がオレンジ色に熟してきた。もう何年も前からこの時期になるとその柿を戴いている。やはり秋の果物といえば柿と栗だろう。隣家の女性は一人住まいだったが最近娘さんが同居を始めた。高齢なので自分で柿を収穫することができない。毎年知人らしい男性が手伝いにくるが、その男性も結構高齢だ。梯子を使って収穫するのだが見ていて何だか危なっかしい。最近は自宅の庭に松や柿を植えている家をあまり見なくなった。それは洋風の家に松や柿があまり似合わないからだろうか。柿は美味しいが木が大きくなるから年と共に高齢者の手に負えなくなる。新しい住宅が建っても庭に大きくなる木を植えないのは流行のほかに高齢化の問題もあるのかもしれない。

 今年最後のゴーヤが成っていたので写真を撮ってから収穫した。夏は疾うに終わりだ。

 月下美人の蕾がさらに大きくなってきた。2、3日中に開花するかもしれない。この花は夜にしか開かないから気を付けて見ていないと開花を見逃すことがある。最近この月下美人にポインセチアの葉を赤くするときのような「短日処理」をして、昼間咲かせることに成功した人の記事が出ていた。けれども白色の花というのは昼間は意外とその美しさが映えないものなのだ。この月下美人も夜暗い中に咲くから妖艶な雰囲気を醸しだして美しいのである。


20201013_072534 本
20201013_065257   柿
20201013_065556 ゴーヤ
20201013_071413 月下美人



[edit]

「思ひで」 

 昨日ここに「深夜食堂」の主題歌「思ひで」を歌っていた鈴木常吉さんと、原曲のアイルランド民謡のことを書いた。

 その鈴木常吉さんが今年7月6日に、食道がんのために65歳で死去していたことを知った。早すぎる死だ。もっと年齢が上かと思ったが自分と大して変わらなかった。報じられたのは弘田三枝子さんの死と同じ7月27日だったようだが自分はそれを見落としていた。おそらく扱いが小さかったのだろう。

 鈴木常吉さんは原曲のアイルランド民謡に何を感じてこの「思ひで」を書いたのだろう。その儚げで頼りなさそうな、今にも風に吹き飛ばされそうで、それでいてそこに強さを秘めたような暖かく優しい歌声。

 自分は鈴木常吉さんのことをほとんど知らないのだが、この「思ひで」1曲を聴いているだけでその人柄が偲ばれるような気がする。

 今夜はこの曲を何度も聴いている。




[edit]

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

午後の時間割