FC2ブログ
07 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 09

もう夏の終わりか。 

 昨日の午後の都心では、激しい雷雨で道路が冠水したり落雷で停電したりで大変だったらしい。所沢では大した雨も降らなかった。台風が次々に発生して日本列島に接近したり、寒冷前線が南下したりして、大気の状態が非常に不安定だと天気予報で言っていた。近所の公園を歩いていると足元に蝉の死骸が落ちている。今日の午後は帰省した人たちのUターンのピークで、上りの高速道路は渋滞するそうだ。商店街の会社や店のシャッターには今週一杯休みと書かれた貼り紙も多い。どちらにしてもどうやら夏は終わりかけているらしい。

 子供時代を過ごした町は海沿いにあったので、夏休みになると毎日海に出かけていた。特別な予定(もっとも特別な予定など学校の登校日くらいしかなかったが)がない限り朝から夕方まで海にいた。昼の一時間だけは昼食を食べに家に帰った。そんな単調な生活にどうして飽きるということがなかったのか、今考えてもとても不思議だ。

 家の前の海は磯だった。だから泳ぐというより素潜りをしてサザエやアワビを採るのを楽しんでいたのだ。直ぐ隣には砂浜の海水浴場もあったが磯に行く方が圧倒的に多かった。田舎の子供たちは大体そうだ。磯の方はいつもそれほど混雑しないが、海水浴場は7月下旬から8月のお盆のころまではいつも観光客で一杯だった。砂浜中にビーチパラソルが立ち並び、歩くところもないほどの混雑ぶりだ。焼けた砂の上を歩くとオリーブオイルの香りが鼻を刺激し、波の砕ける音と歓声が混ざって海水浴場全体にこだましているように聞こえた。お盆を過ぎると、そんな砂浜を埋め尽くした人達の姿が嘘のように消え、海水浴場は閑散としてくる。観光客は混雑している時期にしか来ないから分からないだろうが、毎日海を見ている自分達にはその違いが手に取るように分かる。その変化は劇的といってもいい。お盆を過ぎると土用波が立ち、クラゲも現れるから、数が少なくなった観光客もそのほとんどは泳がずに波打ち際で遊んでいる。人のいない海水浴場は淋しくて何だか間が抜けている。

 8月というのはテレビや新聞や雑誌で、戦争特集といったものが多いように感じる。それはおそらく広島・長崎の原爆や終戦の日があるからなのだろう。もちろん1945年の8月は体験していないから自分には分からないが、経験した人たちにとってその記憶は、夏の耐えがたい暑さや直射日光の眩しさと結びついているのではないだろうか。8月15日に人々の胸に去来したのは、戦争が終った喜びだったろうか、それとも虚無感だったろうか、それともこれからの再建しなければならない生活に対する不安だったか。直接経験者に聞いたこともないので想像するしかないのだが。そんな話は自分の父親とさえしたことがない。

 梅崎春生「桜島」を読む。終戦間際の昭和20年7月、鹿児島県の坊津から桜島の基地に転任した一人の暗号兵の目に映った部隊の日常が描かれる。それは沖縄が玉砕し、九州への米軍上陸も間近と思われていた時期の緊迫した日常だった。その時誰もが死の覚悟と生への執着という相反する感情に捉われていたのだろうか。去年の夏、原民喜の「夏の花」を読んだ時にも思ったが、この「桜島」も8月に読むことで、小説の世界により深く感情移入できるような気がする(気がするだけであって自分の単なる錯覚かもしれないが)。明日は終戦の日だ。明日もまた西日本を中心に猛暑が予想されている。

P1060622 桜島



スポンサーサイト

[edit]

小人の日々 

 「我々が選挙で選ばれた国会議員である限り、忠誠を誓う相手は有権者であって、官僚でもなければ党本部でもない」「官僚が奉仕するのは政権ではなく国民だ」

 これは自民党総裁選に立候補を表明した石破茂元幹事長の言葉だが正論である。これに異論を唱える人がいるだろうか。しかしこのような正論が通用しないのが今の日本の異常な政治状況だ。そしてその最大の元凶は安倍首相だと思っている国民は少なくないだろう。しかしまたしても派閥という悪幣が復活してきた現在、自民党国会議員の多くはどうもそう思ってはいないらしい。

 仮に来月の総裁選挙で安倍首相が圧勝して再選されたとしたら、日本のこれからは相当に危機的だ。その時国民は何を考え何をすべきなのか、こちらも8月の残りの暑い日々の中で考えよう。何と言っても今後の自分自身の生活にも大きな影響のある話なのだから。





[edit]

書くことと音楽の関係 

 先週の日曜日の夜、村上春樹がTOKYOFMのラジオ番組に出るというので久しぶりにラジオを聴いた。彼は走りながら音楽を聴くことが趣味のようだが、その時にどんな音楽を聴くかということがこの番組のテーマのようだった。

 高校生の頃、毎晩ラジオの深夜放送を聴いていた。同級生の中にも同じような仲間がいて、大体皆翌日の授業中は眠そうな顔をしていた。リクエストハガキを出して、それが読まれてリクエスト曲がかかるとお互いに自慢しあっていたのを思い出す。もう半世紀近くも前のことだが、今の高校生はSNSに夢中になっていてこのようなことはもうしないのかも知れない。

 20代の頃はまだラジオを結構聴いていた。FMにはいい音楽番組が多かったので、好きな曲をカセットテープに録音してラジカセやカーステレオで聴いていた。その後徐々にラジオを聴かなくなったのは、FM局の番組でも曲よりもおしゃべりの方が多くなってきたからだ。おしゃべりはあまり好きではない、昔も今も。それから40年近く、ラジオを聴く習慣はほとんどなくなってしまった。

 村上春樹が件の番組の中で話していた。若いころから音楽ばかり聴いていたので、職業作家になるというよりも音楽関係の仕事につくと思っていたそうだ。実際彼は専業作家になる前に数年ほどジャズバーを経営していたわけだが。そして小説を書き始めたころ、他の作家や文章から影響を受けたというよりも、音楽から受けた影響(あるいは音楽からインスパイヤされた)の方が大きかったという趣旨のことを話していた。また自分の作品が支持されるとしたらこの「音楽」がキーワードなのではないかとも。言い方は少し違っていたかもしれない。

 この話は興味深かった。自分が小説を(あるいは文章全般でもいい)読むとき、書き手によって好き嫌いがある。個人的にもそれが結構激しい。時々その理由を考えるのだけれどよく分からなかった。書かれた内容や文体や使われる語彙のせいかとも思ったが、どうもそれだけではない。それがこの村上春樹の言葉が少しヒントになった。それはリズム感なのかもしれない。個人的にはジャズやロックは好きだが昔からクラシックは苦手だ。民族音楽は好きだ。ケルト音楽などは大好きである。無意識のうちに読んでいる本の中に音楽を感じているのかもしれない。だからそれが自分の好きな音楽のリズムなら、読んでいて快感なのだ。逆にどんなに素晴らしいことが書かれていても、リズムが合わないと読むのが苦痛なのだ。

 小説家(職業作家全般でもいい)の中には、音楽をまったく聴かないと言う人が(あるいは音楽が嫌いだと言う人が)いるだろうか。もしそうだとしたらその人の書いたものを読んだら何を感じるだろうか。


[edit]

お盆休みが始まったらしい。 

 1985年8月12日、日航ジャンボ機が群馬県御巣鷹の尾根に墜落して今年で33年になる。昨日奇しくもその墜落現場からそれ程遠くない群馬県の山中に、9人の乗った群馬県の防災ヘリコプターが墜落した。原因や生存者などの詳しい情報はまだ分かっていない。高度なIT技術の導入で航空機も自動車も鉄道も、その安全性は飛躍的に高まっているのだろう。しかしどんなに技術が進んでも事故がゼロになることはない。それは現実が如実に示している。そしてそれは人間の驕りや過信を戒めているようにも見える。

 自民党の石破茂元幹事長が「正直・公正」をキャッチフレーズに、9月の自民党総裁選への立候補を表明した。森友・加計問題で行政に対する信用が大きく失墜したことや、安倍首相の説明責任を果たさない不誠実な対応、一強の驕りともいえる強権的な国会運営などへの批判がこのキャッチフレーズには込められている。現状では議員票の7割を押さえたと言われる安倍首相の絶対的な有利は動かない。あとは地方票がどうなるかである。今回の総裁選の結果次第で今後の日本の政治は大きく変わる可能性がある。果たして石破氏の立候補は「蟷螂の斧」に終わるのか、それとも「蟻の一穴」になるのか。注目だ。


[edit]

 ご案内 

 9月の読書会のご案内をします。関心のある方は問い合わせてください。

E69CACE381AEE3818FE38199E3828AE7AEB120180929[1]


[edit]

チコちゃんに叱られる 

 NHKテレビで「チコちゃんに叱られる」というクイズ番組が放送されていて人気があるそうだ。家人も面白いと毎回見ているようである。おかっぱ頭の5歳の女の子チコちゃんというキャラクターが、毎回ゲストに素朴な質問を投げかける。そしてそれに答えられないと一瞬にしてチコちゃんが怒りの形相に変わり、決め台詞である「ボーっと生きてんじゃねーよ!」が炸裂するのである。

 普段自分は常識程度のことは分かっていると思っている人は多いだろう。それがこのチコちゃんによってそうではないことが暴かれる。自分の無知を思い知らされ、思考の盲点を突かれる。もし相手が大人だったら反発を覚えるだろう。しかし5歳の女の子が相手では怒るわけにもいかず、苦笑するしかないし、知らないことでそれ程落ち込むこともない。だからこの番組はある意味では過激だが毒がないのである。最近は世の中の出来事もニュースもテレビの番組も、下品で毒のあるものばかりだ。この「チコちゃんに叱られる」にはそのいずれもないことが、広い層に人気のある原因なのかもしれない。

 しかし自分のことを考える。まさに60年(生まれてからの数年間を除外して)ボーっと生きてきた。それは否定しようもない。日々起こる出来事をそれ程気にも留めず、世界情勢や政治や経済や社会体制のことに特別に問題意識を持ったこともない。社会に貢献してきたわけでもないし特別必要とされているわけでもない。取柄は税金はきちんと納めてきたし、反社会的行動はとったことがないというだけである。人間は生き方や性格を変えるというのはそれ程簡単なことではないから、たぶんこのままこの先も同じようにボーっと生きていくのではあるまいか。本当は身近にチコちゃんのような存在が必要なのだろうが。

 「深く考えないこと」が罪なのだとしたら、このチコちゃんという存在は我々一人一人に突き付けられたあるメタファーなのかもしれない。





[edit]

沖縄 

 体調が悪化して入院中だった沖縄県の翁長知事が今夜亡くなった。まだ67歳の若さである。膵臓がんであることを公表したときから厳しいとは思っていたが、それにしてもあまりにも早すぎる死である。片や老害ばかりまき散らす困った高齢議員が大勢いるかと思えば、まだまだ沖縄にとって必要だった翁長氏のような方が早逝する。これを無情と言ったらいいのか、不条理と言ったらいいのか。今夜はどうにも言葉がない。ご冥福を祈るばかりである。







[edit]

今朝も涼しくて気持ちがいい。 

 常識ではおよそ理解できないという出来事が相変わらず多い。そしてそのような出来事が立て続けに起こると、誰もがそれほど驚かなくなってくる。恐ろしいことだ。

 日本ボクシング連盟の山根会長のニュースが連日報道されているが、本人の言動を見ているとどうもあまりまともな人間とも思えない。多くの国民が同じ印象を持っているのではなかろうか。言葉の使い方を見ていても、正常な知性や判断力があるようには到底思えないのだ。このような人間が長年団体のトップに君臨して独裁体制をとってきたとは驚きだ。印象通りの人間だとしたら報道されるような不祥事が起こるのは必然だ。一刻も早く辞任すべきだし、国も厳しい対応を取るべきだろう。これでは東京オリンピックを前にボクシングのイメージがどんどん低下する。それでなくともボクシング界というのは、過去に八百長試合や暴力団との癒着など多くの問題が指摘されてきたのだから。

 朝日新聞が金融庁に情報公開請求した内容が野田総務相側に漏れ、さらに野田氏が第三者に漏らしていた問題で、野田氏は一年分の大臣給与(161万円)を全額返納すると表明した。麻生財務相も漏出に関わった金融庁職員を処分したと明らかにした(どの程度の処分なのかわからないが)。野田氏はこの自らに対する処分について、「前例にくらべて相当重くした」と語っているが、呆れた軽い処分としか思えない。このような感覚だから今回のような問題も起こるべくして起こる。大臣を辞するのが当然と言えるほどの大問題だと思うが。野田氏はこのような重大な問題を起こしながら総裁選出馬もいまだに諦めていないようだ。この神経の図太さはどうだろう。今の安倍政権下では、不祥事や不正を起こしても、とぼけて逃げ切ればそのうち国民もメディアも忘れると高を括っているらしい議員や官僚が随分いる。だからこんな「逃げ得」とも呼べる行為が横行している。こんな風潮を断じて許してはならない。

 東京医科大学の入試不正問題で、その詳細が明らかになるにつれてあまりの実態のひどさに呆れてしまった。しかし一方でこの大学の不正を擁護する発言があることに驚いてしまった。問題の根は深そうである。背景には女子受験生の方が男子よりも圧倒的に優秀だという事実がある。だからこのままでいくと女性合格者の割合がどんどん高くなる。つまり女性医師の数がますます増えていくということになる。その女性医師が出産や子育てで職場を離れると、医療現場が回らなくなるということらしい。だから大学側としては男子の合格者を増やしたかった。そういうことらしい。もしそうだとしたらこれは東京医科大学だけの問題では恐らくない。他の医科大学や医学部でも同様な不正入試が行われている可能性がある。これはまさに安倍首相お得意の「働き方改革」や「女性活躍」の分野の話ではないか。こういう問題にこそ手腕を発揮してもらいたいものだ。残念ながらまだこの問題に対する発言は、安倍首相だけでなく文科相や厚労相からも聞かれないが。

[edit]

旅の重さ 

 「旅の重さ」は1972年に公開された高橋洋子主演の映画だ。男出入りの激しい母親との生活にうんざりして家出をした16歳の少女が四国遍路の旅に出て、その旅の中で様々な出会いや経験を重ねていくというロードムービー。原作は素九鬼子の小説だ。何となく村上春樹の「海辺のカフカ」に設定が似ているなとふと思った。たしかカフカの舞台も高松市だった。吉田拓郎の歌う主題歌「今日までそして明日から」も印象的だったが、70年代の映画には一種独特の匂いや雰囲気がある。人生が旅だとしたら、「旅の重さ」とは生きることの重さということだろうか。

 36歳のフランス人女性が日光で行方不明になっている。宿に荷物やパスポートを残したまま、7月29日に目撃されたのを最後に消息が途絶えている。一人旅だったようだ。警察は事故と事件の両面で捜査しているが、いまだ見つかっていない。フランスから兄・弟・妹も来日して捜索に加わっている。一刻も早く無事に発見されればいいが。

 常連のお客さんに連れられて今日フランス人の夫婦が店にやってきた。ご主人の方は中々日本語が達者だ。まだ来日したばかりで、これから東北や北陸や京都や奈良などを観光で見てまわるそうだ。東北では芭蕉の「奥の細道」で有名な山寺や山形県鶴岡市や羽黒山などに行くと言っていたからかなりマニアックなコースだ。話を聞いていると随分日本の勉強をしているようで、歴史や地理にも関心があるようである。このような旅行ならばありきたりのツアー旅行と一味違った楽しくて充実したものになるだろう。事故などに遭わずに、楽しい思い出だけを抱えて帰国してもらいたいものだが。

 台風のおかげで猛暑がひと段落して今日はとても涼しかった。その意味ではまさに立秋らしい一日だったのかもしれない。もっとも猛暑はすぐに復活しそうだけれど。明日明後日と、台風が関東地方に接近して上陸もしそうな雰囲気だ。何とかそれて欲しいものだが、どうなることか。夏が終わって本格的に涼しくなったらどこかに旅行に行きたいと何となく思った。

[edit]

8月6日 

 戦後73年目となる「原爆の日」を迎えた広島市で平和祈念式典が開かれた。

 2017年7月、交渉会議に参加した124か国中122か国の圧倒的多数の賛成により「核兵器禁止条約」が採択された。「唯一の戦争被爆国」を掲げる日本政府はこの条約の交渉会議にも参加せず、採択時には反対票を投じている。今日の式典で安倍首相は「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、国際社会の取り組みを主導する」と語ったらしいが、去年に引き続いて核兵器禁止条約には言及しなかった。しかしこのような橋渡し役などに、被爆者やその遺族は期待しているだろうか。世界中の人々は期待しているだろうか。「唯一の戦争被爆国」という認識があるならば、どの国よりも率先して核兵器に反対し、核兵器禁止条約推進のリーダーとしての役割を果たすべきではないのか。

 安倍首相が毎年広島や長崎で挨拶するたびに違和感を感じる。欺瞞ではないかと。この人は何故毎年この平和式典に出席しているのだろうか。おそらくそれは総理大臣という肩書のためであって、一人の人間としてではないのだろう。このような挨拶をして後ろめたさや恥ずかしさは感じないのだろうか。個人的には被爆者に対する侮辱ではないかとさえ思う。悲しい国と悲しい国民と悲しい犠牲者。そしてその悲しみをいつになっても理解できない為政者。


[edit]

辛いカレーの話。 

 西日本の豪雨災害から明日で1カ月だとニュースで言っていた。思ったように復興が進んでいない状況も伝えていた。住民の高齢化や連日の猛暑や行政の対応の遅れがその原因なのだろうか。広島県では明日の原爆の日の行事にも、一部影響が出そうだとも話していた。

 猛暑はなかなか収まらない。今度はまた南海上から台風が日本列島に近づいている。日本列島を覆う太平洋高気圧とチベット高気圧の張り出し方次第で、またもこの台風が迷走しそうである。豪雨被害を受けた地域では今後の台風の進路とその影響も心配される。

 自分のこの1カ月の生活を思い起こしてみるが、特筆すべきことは何もない。何もしていない。あまりに何もなくて唖然とする。毎日定型化された同じような一日をくりかえしていたのだろうか。この感情はなかなか言葉にしにくい。敢えて言えば自己嫌悪だろうか。

 昨日夕食にとても辛いカレーを食べた。「激辛」「極辛」と言ってもいい。食べているうちに汗が吹き出し、鼻水が出てくる。途中で水を何度も飲まないととても全部食べられない。舌や唇が少し痺れてくる。それでも食べ終わるとなぜかすっきりする。これが気持ちよくてまた食べたくなるのである。考えてみるとこのような爽快感とでも呼びたい気分というのは、日常生活でなかなか味わえるものではない。

 そこでまた考える。人間には「刺激」というものが必要なのだろうかと。あるいは「変化」が。

[edit]

祭りばやしが聞こえる。 

 太鼓の音が聞こえる。毎年恒例の盆踊り大会が近くの公園で行われているのだ。歩いて五分もかからない場所なのにまだ一度も行ったことがない。子供の頃はどうだっただろうかと思うのだが、どうもはっきり思い出せない。子供のころから祭りがそれほど好きではなかったような気がする。理由はよく分からない。

 盆踊りの起源は平安時代中期だと言われているが詳しいことは知らない。念仏を唱えながら踊る念仏踊りが先祖を供養する盂蘭盆会(うらぼんえ)と結びつき、盆踊りになったともいわれている。それがその後先祖供養の意味合いよりも、民俗芸能や娯楽としての要素が強くなってきたきたのが現代の盆踊りなのではあるまいか。

 盆踊りが近づいてくると、日曜日のたびに太鼓の音が聞こえてきた。きっとどこかで盆踊りのために太鼓の練習をしていたのだろう。その音がしなくなって、「ああ、盆踊りも終わったのだな」と気がつくのが毎年のことになっていた。今週からお盆の帰省ラッシュが始まる。行き帰りは苦行だろうが、帰る場所があるというのは悪いことではない。人によっては羨ましいだろう。暑い夏も少し終わりが見えてきたということだろうか。


[edit]

雷雨が。 

 午後7時、雷鳴が轟き稲光が走ったと思ったら、いきなりの土砂降りになった。こんな激しい雨は久しぶりだったが、雨はほどなく止んだ。これが熱雷というものだろうか。このような雷雨の後には涼しくなるときと、逆に蒸し暑さが増すときとがある。今日はどうも後者のようで不快な暑さは消えなかった。今日は名古屋の最高気温が40度を超えて記録を更新したと言っていたが、全国的な猛暑は収まる気配がない。先ほどニュースでお盆休みの渋滞情報を流していた。来週はもう立秋でもある。まだまだ秋の気配などとても期待できそうもないが。

[edit]

元号のこと 

 警察庁が運転免許証に記載されている年月日を西暦に変更する方針だと聞いてやっとかと思ったら、変更するのは全部ではなく有効期限の部分だけで、生年月日や交付日は今まで通り元号を使うのだという。外国人の免許保持者の増加に伴ってより分かりやすくするのが目的だそうだ。政府は来年の改元後も行政手続きで使用する証明書や書類は元号表記を継続する方針を示しているが、警察庁も今回の措置を「基本的に元号を使うことに変わりはなく、あくまで例外的な変更」と説明している。うーん、やっぱりそうか。

 個人的には昭和生まれだから平成という元号には改元時からどうも馴染めなかった。西暦一本に統一してくれたらと思っていた。来年新たな元号に変わったらさらに混乱しそうな気がする。多くの高齢者もそうではないかと心配する。天皇が変わるたびに元号が変更になる。事前に準備はしていても行政の現場では混乱もするだろうし、書類や用紙や資料なども作り直さなければならないものも多いだろう。資源や費用の無駄使いはないのだろうか。多分あるだろう。こんなことを言うと右寄りの人から脅迫されそうだが、元号は皇室内だけに限定して使用するというわけにはいかないのだろうかと思う。

 もっとも最近はこの元号や西暦を記入する場面も少なくなってきた。年一回の確定申告の時くらいだろうか。これはこれでまた淋しい気分がしないわけではない。


[edit]

いまそこにある危機。 

 日本ボクシング連盟(山根明会長)が助成金を不正利用したり、公式試合の判定に不正が続いているなどの数々の問題点を指摘して、都道府県連盟の幹部や関係者333人が日本ボクシング委員会(JOC)や文科省などに告発状を送った。元日本レスリング協会強化本部長だった栄和人氏のパワハラ問題や、日大アメフト部の違法タックル問題などと似たような展開になってきた。しかし今回の問題が事実ならば、中身は最も悪質と思える。しかしスポーツ界というのはどうしてこれほど独裁的なトップの引き起こす不祥事が多く起こるのだろうか。スポーツ界の体質に問題があるのだろうか。

 文科省の私立大学支援事業を巡る汚職事件で、同省幹部の息子を不正入学させるという酷い実態が明らかになった東京医科大学だが、今度は入学試験で女子受験生の点数を一律で減点するなど、男子受験生を不公平に優遇していた実態が明らかになった。これは明らかに性差による差別である。大学がこのような行為をするとは驚きだ。女子合格者の割合が3割を超えたことで大学側が危機感を持ったことがその始まりだと言う。その理由は卒業後に医師となっても、女性は結婚や出産を理由に男ほど戦力にならないからという呆れたものだった。女性が働きやすい環境を作ることこそが大事だという発想は出てこないのだろうか。他の医大でも同様なことが行われているという声もあるが、この問題は徹底的な事実解明と関係者の処分と再発防止策が早急に必要だ。それにしてもこの東京医科大学の今回明らかになった行為は、どう見ても時代の流れに完全に逆行している。

 杉田水脈議員のLGBTに対する差別発言ともとれる問題で、当初それほど問題にせず擁護するかのような態度だった自民党が、一転して本人に対して「注意するように指導した」と明かした。安倍首相も、杉田議員の主張に問題があるとの認識を示した。おそらく本人に対してだけでなく、自民党の責任を問う声が予想以上に高まってきたことに慌てたのだろう。あるいは秋の自民党総裁選への影響を考えたのかもしれない。しかし本当に自民党や安倍首相は杉田議員の主張が問題だと思っているのだろうか。どうもそうは思えない。「誤解を与えたのだとしたら言葉足らずだった」と、批判されるたびに謝罪・訂正する自民党議員と同様ではないか。一言謝っておけば、あるいは形だけの注意や処分をしておけば、国民はすぐに忘れるから、というレベルだろう。二階幹事長はいまだに「この程度の発言」と言っているから、まったく問題だとは思っていないようだ。どちらにしても彼らが気にしているのは選挙の票だけだから。

 しかしこのような問題ばかり起こるのを見ていると、大袈裟でなく日本は本当に大丈夫だろうかと心底心配になる。どうしてそうなってしまったのか分からないが、日本中が腐敗しかけているのではないかとしか思えないのだ。多くの大企業で起きた検査データの改竄事件も同様だし、財務省の森友学園関連の記録の改竄や隠蔽も同じ、国会での官僚の嘘つき発言もまた同じだ。安倍政権の数にものを言わせた国会での強行採決による法案成立もまた然り。

 温暖化による極端な気候変動の危機がある。近い将来高い確率で起きると予想される巨大地震と大津波の危機がある。少子高齢化の進行による社会保障制度崩壊の危機がある。しかし最近このように次々起こるモラルハザードはそれらに勝るとも劣らないと思ってしまう。そしてこれだけは人為的なものだから、防げないことではないのだ。ひとりひとりのモラルに恃むしかないのだが。


[edit]

オノマトペのはなし。 

 今日の朝刊1面の鷲田清一さんのコラム「折々のことば」を読む。人の一生は「よちよち」から「よたよた」へ数十年の時を経て変わっていくというお話。一字の違いで随分印象も変わる。ほかにもある。「よろよろ」「よぼよぼ」「よれよれ」などと。なんとなく可笑しみを感じるが、高齢者にとってみれば笑いごとではないだろう。このような人や物の姿や様子を音で表した言葉をオノマトペ(擬態語・擬音語)という。「オノマトペ」はその語感からアイヌ語かと思ったが、意外にもフランス語なのだった。「オノマトペの達人」「オノマトペの優れた使い手」としてよく知られているのが宮沢賢治だが、一方で森鴎外や三島由紀夫のようにオノマトペを忌み嫌った文学者もいる。

 猛暑が相変わらず続いているが、オノマトペで表すと、

ぎらぎら
くらくら
ふらふら
じりじり
だらだら

 こんな感じだろうか。たしかにこのような言葉を声に出しただけで何だか暑く感じてくる。言葉というのは不思議なものだ。


[edit]

8月1日 

 8月のスタートはやはり猛暑日だった。今日はこの夏二度目の土用の丑の日なのだそうだ。それが珍しいことなのかどうかはよく知らない。しかしこう暑くては鰻よりも素麺や冷やし中華の方がいい、と負け惜しみを言ってみる。暑中見舞いの葉書きが出来上がったのでそれに一言書いている。今年は 先月9日に行った岐阜の白川郷で撮った写真を使った。そういえばこのころから7月の暑い日が始まったのである。さらに西日本の豪雨災害の被害の大きさが、徐々に明らかになってきた頃でもある。テレビをつければ「今日も熱中症に注意してください」を連呼しているし、誰かに会えば「今日も朝から暑いですね」が合言葉のようになっている。7月に全国で熱中症の疑いで亡くなった人は96人で平年の4倍だと今日テレビで言っていた。気象庁の発表では東日本の7月の月間平均気温は平年を2.8度上回り、統計開始以来最も高かったそうだ。「30年に一度以下の頻度で起こる異常気象」と言っている。暑かったわけだ。もう随分前だが、北海道の札幌から東京都練馬区に引っ越してきたという人と話していたら、東京の夏のあまりの暑さに驚いたと真顔で言っていた。夜も暑くて眠れず睡眠不足だと疲れた顔をしていた。練馬区は都内でも暑い地域で有名だから、運が悪かったとも言える。去年の8月はたしか雨の日ばかりで、海水浴場やプールは閑散としていて、レジャー産業も大打撃だと報道されていた記憶があるが、今年はその反対になっているのだろうか。ビールや清涼飲料はよく売れていると言っていたが。個人的には今はもう夏休みなどとは縁がなく、田舎に帰省することも旅行に行くこともない。だから言ってみればただ暑いのを我慢する淋しい毎日である。どんなに暑くとも夏に行く場所があり、楽しみにしている予定があるならば、それはそれで十分幸せなことではないかと思う。

P1060621 暑中見舞い2018

[edit]

恥ずかしがらずに見直そう。 

 「過ちては改むるに憚ることなかれ」これは論語の有名な言葉だが、これがなかなか出来ない人が世の中には随分いるらしい。昨日行われた金融政策決定会合後の日銀の黒田総裁の記者会見を見てそう思った。金融緩和政策の見直しが必要なのにそれを明言しないで言い訳ばかり言っている。これでは日本は世界経済の潮流から取り残されていく。黒田総裁は「今までのやり方が間違っているとは思わない」と語っているが、国民の多くはそう思っていないのではないか。政権を意識してか、この期に及んでも物価上昇率2%の看板は下ろさず何度も先送りしてきた。これも安倍政権に対する忖度なのだろうか。多くの国民は物価の上昇など望んでいないし、デフレのままでいいと思っているだろう。それが庶民の生活感覚だ。大企業だけが高収益をあげ、それを社員に十分還元しない。給料が上がらないから消費に回す金が無い。買わないのだから消費者物価など上がるはずがない。いつまで経っても国民と乖離したままなのは政府も日銀も同じだ。庶民の生活も財布の中身も分かっていないのだ。金に困っていない人たちばかりが考えるから現実が見えなくなる。

 諫早湾干拓問題で、福岡高裁は水門を開かなくてもよいという決定をした。漁民たちは反発している。農地の造成と防災を目的に営農者は門を閉めろと言い、漁民は開門しないと漁業や生態系に致命的な影響があると言う。難しい問題であることは間違いない。しかし問題がここまでこじれる前に国はもっと有効な手を打つべきだったのだ。営農者・漁業者双方の意見を丁寧に時間をかけて聞き、水門を作る前に十分議論すべきだった。こういう構図は同様にダム建設においても過去至るところで大きな問題を起こしてきた。つねに「建設ありき」なのだ。「一度始めた公共事業は絶対にやめない」という姿勢をいい加減に変えるべきなのに、途中で状況が変わっても頑なにそのやり方を変えない。当初の目的を失っても建設することだけが目的化してしまう。ここでもやはり「過ちては改むるに憚ることなかれ」である。

 防衛省が陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」にかかる費用の見直しを明らかにした。当初想定していた額の1.7倍に膨らんだ。総額は4664億円と巨額だ。しかもこれには1発数十億円と言われるミサイル費用などは含まれていないから、合計ではさらに大きな金額になるし、実際の導入時にはもっと膨らむ可能性が高い。南北首脳会談や米朝首脳会談が開かれて朝鮮半島の緊張状態は緩和の方向に向かっている。事実小野寺防衛相は先日これらの朝鮮半島情勢を受けて、北海道や中国・四国地方に展開していた地対空誘導弾(PAC3)部隊を撤退させると発表したばかりだ。このような情勢を踏まえれば、なぜこれだけ巨額の事業をいま導入しなければならないのか。その理由が分からない。まるで押し売りのように米国製兵器の大量購入を日本に迫る、トランプ政権の圧力に屈しているだけではないかとしか思えない。こういうことを言うと「素人は安全保障のことをまるで理解していない」という人が必ずいる。果たしてそうなのか。歴代自民党政権は防衛費増額のために北朝鮮やロシアや中国の脅威を煽ってきた。それに根拠があってもなくても。今回の費用の見直しの会見で小野寺防衛相は「北朝鮮の脅威は変わっていない」と語ったが、それは差し迫った脅威とは言えなくなりつつある。この機会にこれらのシステム導入が本当に喫緊に必要なのかもっと時間をかけて議論すべきである。そして軍事分野も経済分野も、アメリカとの対等な関係を一刻も早く確立すべきである。トランプ政権がいつまでも続くわけではないのだから。今の日本には高価な「イージス・アショア」よりももっと予算をかけるべきところがいくらでもある。ここでもまた「過ちては改むるに憚ることなかれ」である。


[edit]

熱の話。 

 今日で7月も終わりだがまたも猛暑が復活すると、今朝の天気予報で言っていた。台風12号はいまだに九州の南でうろうろしている。8月になってもあまり快適な夏は期待できそうもない。

 今朝の新聞にすごいことが書いてあった。科学者や医者のグループが、人間は何度の気温まで耐えられるか実験したそうだ。その結果127度の部屋に7分間いられた。このような命がけの実験台になる人もすごいが、実験を通してまわりの空気が高温になっても体温は37度以上にならないことが分かったと書いてあった。しかし近年熱中症で倒れる人の体温は40度近くになると聞いたことがある。通常は発汗によって体内の熱を放出するのだが、それができなくなりその熱が体にたまるからだという。

 127度などという高温はもちろん経験したことがないのでどの程度の暑さなのか分からない。サウナも好きではないのでほとんど入ったことはない。本場フィンランドでは通常サウナの温度は80~90度だそうだが、中には110度~125度といった高温のサウナもあるらしい。人間は100度のお湯にはとても耐えられない(大やけどして死んでしまうだろう)が、100度以上のサウナには耐えられる。これはなぜか。調べたらこれは比熱の違いが関係していると書かれていた。比熱(初めて耳にしたが)は大きいほうから小さな方へ移動する性質がある。

空気の比熱  0.24
人間の比熱  0.83
水の比熱    1.0

つまりお湯の中ではお湯から人間へ熱が移動するから熱くて耐えられないが、サウナの中では人間から比熱の低い空気の方へ熱が移動するから耐えられるのだ。さらにサウナの中は極端に湿度が低いので発汗し、その汗が蒸発して気化熱となって熱を奪うので体温を一定に保つことが出来るというわけだ。だから逆に日本では気温が30度以下でも湿度が高いから、汗がなかなか蒸発せず熱中症になりやすい。

 しかし熱と人間の関係に関してもこのように科学的に説明されると理解しやすい。しかしだからと言ってこの高温多湿の日本の夏が快適になるわけでもない。水分・塩分補給と適切な冷房使用と暑い戸外に長時間いないなどの対策は絶対に必要だ。今年の7月は熱中症で救急搬送された人の数も例年に比べてかなり多いと聞いた。死者も随分出ている。やはり圧倒的に高齢の犠牲者が多い。ここにもやはり「高齢化問題」があった。


     

[edit]

夜空を見たら思い出せ。 

 自分の部屋のエアコンの具合が悪くなってきた。7月中旬の猛暑が始まる少し前からあまり冷えなくなってしまった。「だましだまし」という感じで何とか使ってきたのだが、この先が不安になったので今日業者の人に調べてもらった。内部のシロッコファンに埃がびっしり溜まっていてファンが風を送れなくなっているのが原因だという。設置して8年ほどになるが、一度も内部の洗浄などしたこともない。聞いたらシロッコファンを取り外して丸ごと洗浄するそうだ。2日の午後ならスケジュールが空いているということなので、さっそく依頼する。とにかく南向きの暑い部屋なので、エアコンなしではとても夏を乗り切れない。しかし自分の自宅に限らず、もう随分前から関東地方の夏はエアコンなしで過ごすことはかなり難しい。熱中症の恐れも高い。どうしてこんなことになってしまったのか。日本は猛暑と台風と局地的な豪雨だが、ギリシャや北欧やアメリカでは熱波による山火事が頻発している。今日の午後近くのホームセンターに買い物にいったら、売り場で風鈴と鈴虫を売っていた。どちらも涼しそうないい音色だったので一瞬買おうか迷ったが、結局どちらも買わなかった。この辺が風流を解さない俗なところなのだが、最近の高温・高湿度の熱帯夜では焼け石に水という気がしたのだ。


[edit]

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ