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おかしな年金制度のこと。 

 金融庁の「2000万円不足」報告書が曲解されたのか、それとも麻生財務相の「受け取らない」という対応に国民が反感を持ったのか、とにかく当初の予想以上の盛り上がりを見せている。自民党に逆風が吹き始めているようだから、参院選がとても楽しみになってきた。

 長年悪評だった在職老齢年金制度が、2021年にも廃止されるのではないかという見方がされている。この制度は働きながら年金を受給している人の月給と年金支給額の合計が一定額を超えると年金がカットされるという制度だ。具体的には60~64歳までは合計額の上限が28万円、65歳以上は47万円だ。当然働いても年金が引かれるのでは馬鹿らしいと、仕事を辞める人が出てくるだろう。これが労働力不足の一因とも言われていた。これでは確かに働きたい高齢者の就労意欲を減退させることになる。しかしこの制度を廃止して65歳以上に全額支給した場合、4000億円の財源が必要になるそうだから、一方でその財源確保も大変だ。

 個人的に昔から不思議に思っていたのが「3号被保険者」のことだ。3号被保険者というのは2号被保険者である会社員や公務員に扶養されている配偶者(年収130万円未満)のことだ。ちなみに1号被保険者とは農業や自営業者のことだ。3号被保険者は年金保険料を1円も納めなくても国民年金保険料を満額収めた人と同額の年約78万円の年金を受け取れる。1号被保険者である自営業者の妻は会社員の妻と同様に夫に扶養されていても1円の年金も貰えない。貰うためには夫と同様に自分も保険料を納めなければならないのだ。この制度は不公平ではないのだろうか。会社員や公務員の妻も年金をもらうためには年金保険料を納めるべきではないのか。なぜこのような不公平な年金制度になったのかは知らない。だれかその理由を教えて欲しいものだ。さらにこのことについて批判する声も議論する声もほとんど聞いたことがないのも不思議だ。

 ことほど左様に年金制度というのは複雑で不可解な部分がたくさんある。制度が毎年のように頻繁に改定されるし、「経過措置」という妙な仕組みが多すぎて素人には本当に分かりにくい。今回の「2000万円不足」問題をきっかけに、もっと国民的な議論が起こればいいと思う。そして理解するよりもまず国民が年金制度に関心を持つことが重要だろうと思う。

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DSC_0428 ドクダミ
DSC_0419 お茶


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月のこと。 

 今夜はストロベリー・ムーンだそうだ。別に赤い色になるわけではないらしい。ネイティブアメリカンのある部族が月ごとに名前をつけていて、6月がイチゴの収穫期だからそう付けたと聞けば他愛ないものだと思う。いつだったかブルームーンというものもニュースになっていた。これは1カ月のうちに二度満月があった時の二度目の満月のことで、とても珍しいたとえとしても使われるということをその時知った。これも特別月が青く見えるわけではない。そのほかにもブラックムーン・レッドムーン・ピンクムーンなどがあるみたいだがどんなものかは知らない。「シルバームーン」というのは随分昔にモンキーズの元メンバーのマイク・ネスミスが、ザ・ファースト・ナショナルバンドというグループを作って発表したヒット曲だ。軽快ないい曲だが、彼らはたしかこの1曲の一発屋で終わってしまった。その後の消息は知らない。

 月の引力が地球の潮の干満を起こしていることはよく知られている。また月齢が人間の精神的な事象(死・出産・自殺・殺人)などの発生に影響しているという考え方もよく聞く。「満月の日に犯罪が増える」というデータもあるようだ。志賀直哉の「母の死と新しい母」という短編に、危篤になった病床の母親の描写がある。

「汐の干く時と一緒に逝くものだと話していた。それを聴くと私は最初に母の寝ていた部屋へ駆けて行って独りで寝ころんで泣いた。」

 母親は33歳の若さで死んだ。その時直哉はまだ12歳だった。この描写からも当時から「人間が死ぬのは潮が引くとき」と考えられていたことが分かる。

 月は美しく浪漫的な反面どこか不吉な印象も人々に与えていたのかもしれない。月のことを英語で「luna」と言うが、たとえばルナティック(lunatic)と言えば「気が狂っている」ことを意味している。狼男が変身するのも満月の晩である。

 月をのんびり見なくなってから随分経つ。ごちゃごちゃと住宅が建て込んでいて、月のよく見える場所がないといのも理由の一つかもしれない。風情のないことだ。

P1070506 月A




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日本の品格のこと。 

 日本が品格を失い続ける根本的な原因は、アメリカ型資本主義の信奉だという数学者の藤原正彦氏の言葉に思わず頷く。そしてそれは具体的には「グローバリズムの浸透」と「活字文化の衰退」だという論にさらに頷く。しかし本当にこの二つが日本人の心を荒廃させた元凶なのだろうか。

 グローバリズムは大企業や富裕層に有利に働くから、日本でもその恩恵を受けた会社や個人はたくさんいるだろう。しかし多くの国民はそうではない。規制緩和や構造改革によってすべてが成果主義・利益優先主義になり、終身雇用制度も家族的な会社経営も崩壊した。派遣労働や非正規雇用が当たり前になって個人の収入が激減した。多くの大企業だけは利益を上げてきたが、その利益はほとんどの場合労働者には還元されない。そしてそのような厳しい経済状況が少子化傾向に拍車をかけている。

 いま電車に乗ると10人のうち8人か9人はスマホをにらんでいる。何を見ているのかは知らない。自分が若い頃はもちろん携帯電話もスマホもなかったから、多くの人は電車の中で本を読むか新聞を読むか居眠りしていた。今若い人の少なくない数が1日に7時間も8時間もスマホを使っているのだという。これでは本を読む時間など持てないのも当たり前だ。自分で利用すればよく分かるがインターネットは断片的な情報ばかりだし、その多くは信憑性も価値もないクズ情報だ。それが分かっていて利用するならまだいいが、そうでない人も多いだろう。藤原氏は、本や新聞を読まないと物事を選択する能力が養えないし、結果的に大局観を持つことも出来ないと述べている。もう何年も前から「活字離れ」が言われ、書店の数は年々減少して半分になっている。ネットで買えるからいいという人もいるが果たしてそうなのか。本に携わる仕事の末端にいる一人の人間としてはどうにも気になることだ。

 敗戦後の日本の一番の問題はアメリカ式資本主義や文化を無条件に信奉し、それを手本にしてきたことだ。そしてそれは現在政治・経済・軍事のすべての分野にわたっている。日本は先進国のひとつなのだろうが、このような常にアメリカ追随の日本を、果たして国際社会は独立した国として認めているのだろうか。歴代の自民党政権をアメリカの傀儡政権としか見ていないのではないのか、時々そんな心配にかられる。

 しかしトランプ政権の保護主義や一国主義は明らかにグローバリズムを否定している。イギリスのEU離脱問題が象徴するEUの崩壊危機も同様だ。欧州各国で台頭している極右政党の移民排斥の主張もまさにそうだ。そして日本だけが何故かこのような反グローバリズムの流れに逆行して移民の受け入れを拡大しようとしている。この安倍政権の政策の狙いは何なのだろう。単に少子高齢化対策というだけなのだろうか。

 冒頭の藤原氏の話に戻ると、日本がグローバリズム肯定路線を修正し、活字文化を復活させたら、品格を取り戻すことも可能だろうか。しかしテレビの記者会見のニュースや国会中継で安倍首相や麻生財務相の顔や言動を見ていると、この人たちには本当に品格が感じられないとつくづく思ってしまう。

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スマホと差別用語のこと。 

 スマホを長時間使っていると「急性内斜視」になる恐れがあるそうだ。内斜視というのは片方の眼が内側に寄って左右の視線がずれることだ。見た目のデメリットもあるし視力低下につながることもあるようだから注意が必要だ。しかしアンケートを取ると一日に「8時間」「10時間」スマホを見ていると答える若者が多いことに本当に驚いてしまう。

 逆に目が外側を向いてしまう外斜視のことを自分が子供のころ「ロンパリ」や「ガチャ目」と言っていたが、これらの言葉は差別用語のために現在は使われない。「ロンパリ」というのは目がイギリスのロンドンとフランスのパリの方向を向いている例えとして言われた言い方だ。

 最近の若い人はおそらくこの「ロンパリ」のような言い方は知らないだろう。学校では差別用語でない「正しい」言い方を教わるだろうから問題はない。しかし自分のように若くない世代は子供のころに「差別用語」という考え方が一般的でなかったために、そのままを親や周囲から教わった。だから後からその言い方が差別だとして変えられても承知していないものが結構多い。たとえば次のような言葉も(カッコ内は正しい言い方)大分後になって知った言葉だ。

エスキモー(イヌイット)
裏日本(日本海側)
色盲(色覚異常)
後進国(発展途上国)
文盲(非識字者)

 もちろん差別を容認しない社会は当然だし、差別や差別語に敏感になることも大事なことだ。しかし差別用語の一覧表を見ていると、改めて自分が年をとったのだと、そのことばかり感じてしまう。

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大阪の事件のこと2。 

 今朝7時前テレビで天気予報を見ていたら、「警官を刺して拳銃を強奪した容疑者逮捕」という字幕が映された。事件発生から24時間での逮捕は「迅速な」ということなのだろう。とにかく拳銃を使った新たな犯行が起きずに本当によかった。

 去年8月に富田林署で起きた拘置中の男が逃走するという事件はまだ記憶に新しいが、警察がこの男の身柄を山口県で押さえたのは逃走から1カ月半も経った後だった。この事件では警察の杜撰な管理体制に大きな批判が集まったが、大阪府警ではほかにも不祥事が連続して起こっている。今回のスピード逮捕で面目を施したと言え、もしG20までに解決しなかったら大問題になっていただろう。重体の警察官が一刻も早く回復するといいけれど。

 今回の事件では交番の防犯カメラに移った容疑者の映像を早期に公開したことが、犯人逮捕につながったのだろう。それを見た東京の父親が「息子に似ている」と警察に届けたことがきっかけだったかもしれない。はっきりしない段階で届け出た父親の決断もすごいと思ったが、近年の犯罪解決のための防犯カメラの貢献度も群を抜いている。ひと昔前なら迷宮入りになったような事件がスピード解決する例も多い。しかし届け出た父親の脳裏には、川崎で起きた児童殺傷事件や次官による引きこもりの息子を殺害した事件がよぎったのだろうか。

 しかし近年交番を襲って拳銃を奪うという凶悪犯罪がなぜこのように増えてきたのか。

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自由と機密 

 昨日香港で、刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」改正案に反対する2回目の大規模なデモが行われた。参加者は先週に引き続き100万人とも200万人とも言われている。人口750万人の香港の4人に1人が参加した規模だ。香港では近年自由な言論が政府の弾圧を受ける傾向が強まっており、香港政府は完全に中国寄りだ。今回の条例改正案はその流れをさらに進めるものであり、市民らは危機感と反発を強めたのだろう。先週の大規模デモの結果香港政府は改正案の審議を無期限延期すると発表して事態の沈静化を図ったが、市民らはこれに納得せず「撤回」を求めて昨日のさらに大規模なデモにつながった。今後の香港政府と中国指導部の対応が注目される。

 先日オーストラリアで、公共放送ABCの本部や新聞記者の自宅が警察によって家宅捜索された。アフガニスタンでのオーストラリア軍の非人道行為や政府による市民の監視を告発した報道が、機密の公表を禁じた刑法違反の疑いがあるという理由だ。警察によると記者たちは刑事訴追される可能性があるということだ。政府関係者は、機密が保持できなければ米英などの友好国との間でテロや治安情報の交換ができなくなる恐れがあると、一連の警察の動きを正当化している。このような言い方は安倍政権が国会で強行成立させた「特定秘密保護法」の際の説明の仕方とまるで同じだ。

 アメリカでは国家安全保障局の元職員エドワード・スノーデン氏や、逮捕された内部告発サイト「ウィキリークス」の共同創始者ジュリアン・アサンジ被告の事件によって国民の「知る権利」と違法の疑いもある「国家の機密保持」の相反が議論になっていると同時に、国家によって国民のすべてを監視されている現実が明らかになった。「国家の機密保持」は超法規的に果たしてどこまで容認されるべきものなのか。

 香港のこと、アメリカのこと、オーストラリアのこと、日本のこと、みなすべて繋がっている。国民は国家によって一人一人監視され、その個人情報が管理されている。現在それは100%ではないが、近い将来そうなる可能性は高い。世界中の国がそんな方向に向かっている。しかし香港のデモの規模の大きさには驚く。日本で「特定秘密情報保護法」が成立したときにも反対のデモが起こったけれどまるで規模の違う小さなものだった。香港と日本の違いは一体何だろう。国民性の違いか、あるいは長くイギリスの植民地だったという香港の特異な歴史のせいなのか。あるいは現在の本土の中国政府に対する極度の反発や恐怖があるためか。日本では危機感は感じていても具体的に行動しない自分のような優柔不断な人間が多いのか。それとも平和ボケしている国民が多いのか。よく分からないがそれは決していいことではない。

 しかし世界が今、ジョージ・オーウェルが「1984年」で描いた不気味な架空の国に限りなく近づいていることだけは間違いない。

P1050736 1984年A




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大阪の事件のこと。 

 今朝大阪府吹田市で交番の警察官が襲われ、実弾5発の入った拳銃を奪われた。警察官は刃物で刺され意識不明の重体になっている。犯人は逃走してまだ捕まっていない。

 ちょうど1年前になる去年の6月末、富山県でも今回と同様の事件が起こり、警察官が刺されて死亡した。さらに犯人が奪った拳銃で警備員を射殺するという凶悪事件が起こった。その後犯人は警官に撃たれて重体となったが逮捕された。たまたまその少し後の7月上旬に旅行で富山に行ったのだが、旅行気分で浮かれていたからなのか事件のことはすっかり忘れていた。恐らく犯人が既に逮捕されていたからだろう。

 今回の事件ではその後の犯人の足取りは分かっていない。まだ大阪に潜伏しているのか、あるいはすでに他に移動したのかさえも分からない。周辺の住民たちはさぞ不安だろうと思う。ニュースを見ると周辺の図書館や公民館といった公共施設は急遽臨時休館になった。今日は日曜日だから学校は休みだが、明日の朝7時の時点で犯人が捕まっていない場合は、公立の小中高校は休校になるようだ。商店街の商店や飲食店も今日は臨時休業にしたところが多いようで、周辺では人通りの少ない様子が映されていた。住民たちに外出を控えるようにマイクで放送しながら走る広報車の姿も映っている。

 この事件が市民や社会生活に与える影響や恐怖はとても大きいだろう。何といっても拳銃が奪われている。犯人が持っているのが刃物なら離れた距離から確認すれば逃げることも出来るが、拳銃では遠距離からでも撃たれるという恐怖感がある。もし犯人が捕まらなければ住民はいつまでも安心して出歩くことができない。

 折しも今月28・29日の両日大阪でG20サミットが開かれる。これを狙ったテロのために、この奪われた拳銃が使われるようなことになったら大変なことになる。今日の事件がG20の日程にたまたま重なっただけだと思いたいが、とにかく早く解決してほしいものだ。

 しかし例えばアメリカでは銃を持った人間が日常的に街中を歩いているということになる。そして人々はその中でごく普通に暮らしている。驚くほど銃犯罪が多いのが事実だとしても。経験がないので分からないが、そんな環境で毎日を過ごすというのは随分不安が溜まるストレスのある日常生活という感じがする。それも慣れればさほど気にならないということなのだろうか。それとも内心はそんな国から一刻も早く逃げ出したいと思っているのか。日本がそれほど住みやすい国だと感じたこともないし、最近の政治や社会の状況にはうんざりすることが多いけれど、このような銃強奪事件が日本で起こったり、アメリカでの銃乱射事件の報道を見るたびに、銃規制の厳しい日本に住んでいて本当に良かったと思う。そのことだけは本当に心底そう思う。日本が世界に誇れるのは唯一そのことくらいではないかとさえ思う。

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雨の日。 

 去年の梅雨は雨が多かったのか、空梅雨だったのか、去年の夏は猛暑だったのか、それとも冷夏だったのか、思い出そうとするのだが、わずか1年前のことなのに思い出せない。昨日の夜半から雨が降り出して、朝からもずっと降っている。今日は一日中雨のようだ。今年は梅雨入りしてから、その季節らしく雨がよく降っているような気がするが、その記憶さえ既に曖昧だ。

 雨の日に車で走っていると傘もささずにずぶ濡れになって歩いている若者を時々見かけるが急ぐ風もない。不意の雨に傘を忘れたという感じでもない。そんな時は天気予報でも前日から雨だと言い、朝から降り続いている時が多いからだ。高齢者が傘をささずに濡れている姿など見たことがない。雨の日は外出を避けるほうが多いだろう。

 ずぶ濡れでも一向に気にしない風に歩いている若者は何を思っているだろう。失うものなど何もないという気持ちか。濡れることよりも数倍心を捉えている何かがあるのか。周囲のことにそれほど頓着していないのか。雨に濡れることを楽しむ余裕があるのか。雨が降ったら傘をさす、という常識に囚われていないだけなのか。なにかの理由で自棄になっているのか。単に傘をさすのが面倒なのか。濡れながら歩いている姿を外から見ているだけでは、彼らの心中はこちらには分かりようもない。

 自分があんな風に雨に濡れながらのんびり歩いていた頃があっただろうかと考えた。若いころに二、三回あったような気もするが、やはり記憶は不確かだ。

 雨の日に無頓着に濡れながら歩いていた若者が老人になって、雨の日は出かけずに家にこもって窓から降る雨を見ている。

 雨の日は何だか他愛のないことばかり考える。

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年金のこと。 

 金融庁の「2000万円不足」報告書問題のおかげか、国民の年金に対する関心が急に高まっているらしい。

 昨夜のテレビで衆院財務委員会で野党の質問に対する麻生財務相の答弁の様子を映していたが、この人は自分自身が年金を受け取っているかどうかも知らないそうだ。驚いた。もっともこの人くらい収入があれば、在職老齢年金制度によって受け取る年金の額など微々たるものだろうが。しかし日本の不幸はこのような金銭感覚の人間が長く政権の中枢で財務相を務めていることにある。

 その麻生氏が「あたかも公的年金だけでは足りないかのような誤解・不安を与えた。年金は老後の生活の柱という政府のスタンスと違うので(金融庁の報告書は)受け取らない」と発言している。しかし金融庁の報告書の根拠は厚労省の示した資料だったことが判明している。さらに「貯蓄から投資へ」と推進してきた安倍政権の政策と、今回の金融庁の報告書は正に合致しているのだ。それなのに「スタンスが違う」などと逆のことを言う。明らかに整合性を欠いている。しかしなぜか金融庁の局長が同じ衆院財務委員会で「配慮を欠いた対応でこのような事態を招いたことを反省し、深くおわび申し上げます」と謝罪している。誰かに言わされたのか、それともまた例の「忖度」をしているのか。

 しかし麻生財務相は「あたかも公的年金だけでは足りないかのような・・・・」と言うが、多くの国民は足りないのではないかと不安に思っているだろうし、実際足りない人は少なくないだろう。そもそもこの認識が現状と乖離しているのである。

 今日の朝刊に色々な数字が示されている。厚労省によると、公的年金の受給者は約4077万人だそうだから実に国民の3人に1人だ。そのうち公的年金の受給額とそれ以外の収入の合計が年約88万円以下の65歳以上の人や、一定の所得以下の障害者ら低年金者が推計で約970万人となっている。つまり4人に1人は年金だけではとても生活できないということになる。どうするかと言えば働くか生活保護を受けるしかない。生活保護を受給する65歳以上の高齢者世帯は89.4万世帯で、年々増加している。これらの数字を見れば前述の麻生財務相の「あたかも公的年金だけでは・・・」などという発言がまったくナンセンスであることは明らかだ。多くの人は実際に公的年金だけでは足りないのである。

 政府や与党は今回の問題で国民の疑問に答えようともしていないし、説明責任を果たそうという姿勢もない。ただ参院選への影響を最小限にしたいという理由だけで、見苦しいドタバタ劇を演じて責任や追及を回避しようとしているだけだ。年金制度の現在と今後について、分かりやすい国民的な議論になるようにリードするのが本来の政府の仕事ではないのか。現実に今の年金制度には様々な問題があって、多くの国民は不安に思い、実際に困窮しているのだから。


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ハーブのこと。 

 今日車で1時間もかからないところにある「生活の木」のハーブガーデンに家人と二人で行ってきた。2、3日前NHKの朝の番組で紹介されているのを見て、久しぶりに行ってみようと思い立ったのだ。午前中は晴れていて気温も高かった。西から梅雨前線が近づいていて、関東地方でも夜遅くから雨が降り出すと予報で言っていた。

 訪れる人が多いようで駐車場は一杯だった。ハーブガーデンだけでなくハーブティーやアロマオイルを売っているショップや、ハーブを使ったベーカリーやレストランもあり、様々なカルチャースクールも開かれている。混雑しているが9割方は中高年の女性で、こちらは何とはなしに浮いている。若い女性が少ないのは平日の昼間だからだろう。しかし女性というのは本当にハーブ好きの人が多いらしい。このようなハーブガーデンはいつ頃が一番見頃なのだろう。これからの暑い季節はあまり来たくない気がするが。今日は日向は暑かったが木陰のベンチに座っていると涼しくて快適だった。

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昨日・今日は梅雨の中休みかな。 

 参院選前に国会で野党から激しい追及を受けている金融庁の「2000万円不足」報告書問題だが、金融庁を監督する立場にある麻生財務相は「報告書は受け取らない」ととんでもないことを言い出した。そもそも財務省が指示してつくらせたものなのに、参院選に影響が出ないように政府も自民党も火消しに必死である。第一次安倍政権の時の「消えた年金問題」後の参院選惨敗のトラウマがよほど大きいらしい。しかし麻生財務相の普段からの傲慢な物言いにも呆れるばかりだが、都合の悪いものは無いものにしてしまおうという今回のこの対応もあまりに酷すぎる。麻生財務相の国会答弁を聞いていて思うが、この人は野党も国民も有権者も端から舐めきっているし、それが許されると高を括っている。この報告書は明らかに公文書だと思うが、このような扱い方ではまるで「モリカケ問題」の時の財務省の隠蔽工作のいい加減さのレベルとまったく同様だ。このような人間が財務相であり過去に首相まで勤めたとはまったく信じられない思いだが、どのような環境やしつけや教育の中にいたら、このような低級な人間が生まれるのか不思議で仕方がない。

 安倍首相がイランを訪問してロウハニ大統領や最高指導者のハメネイ師と会談した。所詮はトランプ政権追随の使い走りのような役回りだから、大した成果も上がるまい。参院選前の外交パフォーマンスだとイラン側も読んでいるだろうから、本気でアメリカとの仲介を期待するような意図もないだろう。西欧諸国もそんな安倍首相の本質などとうに見抜いているのだろうから、今月末に大阪で行われるG20も茶番劇で終わりそうな予感がする。日本は議長国だが、打算と下心しかない安倍首相が何を言おうが何をしようが、外交における日本のプレゼンス(存在感)など高まるはずがない。騙されているのは哀れな日本国民だけだ。

 フィリピンのセブ島で71歳の日本人女性が銃で撃たれて死亡した事件で、兵庫県神戸市に住む77歳の夫が逮捕された。この夫がフィリピン人の男女に日本から電話で妻の殺害を指示したと見られている。妻はフィリピンに在住して会社を経営していたようだから、別居していたのかもしれない。動機はなんなのか、夫婦の間にどんなトラブルがあったのか。

 去年9月町田市の介護サービス付き高齢者住宅で69歳の女性が殺害された事件で、71歳の夫が殺人の疑いで逮捕された。警察は妻が強盗に襲われたように偽装工作をしていたとみている。二人は大学時代に知り合って卒業後に結婚したと書かれていたから、もう半世紀近く夫婦として暮らしていたのだろう。この夫の動機もまだ分からない。

 何だか昼のテレビドラマに出てきそうなこの二つの夫による妻の殺害事件だが、長年一緒に暮らしてきた夫婦間に芽生える殺意というのはどんなものなのだろう。「愛憎相半ばする」という言葉があるが、そういうことなのか。あるいは金や不倫といった分かりやすい理由があったのか。動機が明らかになってもこちらの気持ちがすっきりするわけではない。ただ長く暮らしてきた高齢夫婦が最後にそんな状況になるのはやはり不幸だし、悲しいことだろう。たとえ貧しくとも、お互いに体調がすぐれなくても、喧嘩ばかりしていても、どちらかが死ぬまで高齢者ふたりが寄り添って仲良く生きていく姿がやはり美しいと思うし、それが「人間」の姿ではなかろうか。二つの事件を読みながらそんな当たり前なことを思っていた。


 

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暗い話ばかり。 

 「10代~30代の死因で最も多いのが自殺」という現実は以前から知っていた。しかし昨年の10代~30代の自殺者が5348人もいて、自殺者全体の約26%もいる記事を改めて読むと信じられないような気分になる。

 原因として中高生は「学校の問題」が多いが、小学生は「家族からの叱責」「親子関係の不和」が最も多いと読むと、さらに痛ましいと思わずにいられない。今の小学生は親に叱られただけで自殺してしまうのか。自分が小学生の頃にそんなことがあっただろうか。調べたわけではないから断言はできないが、おそらく今とは比較にならないくらい少なかったように思う。もしそうだとしたら激増した理由は果たして何だろう。「時代のストレス」か、小学生でも感じてしまう「閉塞感」か、それとも未来や将来に対する「夢や希望の欠如」なのか。もっともその理由が明らかになったとしても、やり切れなさは変わらないけれど。

 しかし最近このほかにも暗い話が多すぎる。

親の虐待によって乳幼児が死亡する。
中高年の引きこもりが急増している。
高齢者の認知症状によって暴走事故が頻繁におこる。
高齢者の介護施設でも職員による虐待や暴行が頻発している。
年金崩壊で「人生死ぬまで働け時代」がそこまできてる。
罪のない就職氷河期世代の無間地獄は続く。

しかしこんなことばかり書いていると増々暗くなってくる。

どこかに明るい話題はないのかねえ。


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「東京一極集中」と「人口」のことを考える。 

 仕事を辞めて通勤することもなくなり、最近は年3、4回くらいしか都心には行かなくなったが、そのたびに人が多いと感じる。それは外国人観光客が増えていることも一因なのかもしれないが。

 東京への一極集中に歯止めがかからない中、政府は「東京圏への人口の転入と転出を来年までに均衡させる」とした目標を事実上断念した。地方創生の新総合戦略の基本方針案に「来年の均衡は達成が難しい」と明記する方針だとニュースが伝えている。2018年度の転入から転出を引いた数字は13万5600人だ。日本全体では人口の減少が始まったのに、これだけの数の人口が毎年東京では増えていることになる。最も5年後、10年後でもこの転入と転出を均衡させることは難しいような気がする。

 政府は地方への移住を促進する政策に加え、週末などに地方で過ごす人の増加にも取り組み、一極集中の是正につなげたい考えだというがやり方が甘すぎるのではなかろうか。これまで政府が示してきた一極集中是正のための施策は

●地方創生関係の交付金を設けて地域活性化事業を支援する。
●中央省庁や政府機関の地方移転
●民間企業の本社機能の地方移転
●東京23区内での大学新増設の抑制

などだった。地方活性化事業については不勉強で分からないが、中央省庁で移転が決まったのはわずかに規模の小さな文化庁の京都移転が決まっただけだ。民間企業でもコマツなどの数少ない例もあるが、ほとんど実現していない。最近の少子化で大学の新増設がそれほど計画されているとも思えない。要は企業も役人も政治家も、あらゆる意味で不便な地方には行きたくないし、何のメリットもないと思っているのだ。だから口先だけでお題目を唱えても何も変わるはずがない。そんなことはやる前から分かっている。省庁移転などあらかじめ移転する道府県を割り振って、議員や役人の反対を押し切ってでも強引に決定しなければ出来るはずがない。民間企業ならば東京は法人税を大幅に上げて地方は逆に大幅に下げるといった大胆な施策を取れば実現性は高い。企業は利潤を追求するものだから、損失と利益は必ず考える。素人考えで言っているのだがこのくらいの荒療治をしなければ実現などしないだろう。要は政府に「本気度」があるかどうかの問題だ。口先だけなら何年やろうが効果が上がるはずがない。

 「東京への一極集中」と言う場合の「東京」とは一般的に東京都に神奈川県・埼玉県・千葉県を加えた地域を指すようだが、人口の増加を見てみると実際には一極集中しているのは23区だけで、東京都でも多摩地域は減っているのだそうだ。やはりほとんどの人は23区を目指しているのだ。なぜ誰もが東京23区なのか。東京に集まる理由はいろいろ言われている。

 「仕事がある」「給与が高い」「人との出会いの場が多い」「最新の情報が得られる」「ファッションなどの時代のトレンドの先端に身を置ける」「整備されたインフラ」「娯楽施設・飲食店・公共施設などが多い」こんなところが主なものだろうか。中には「東京に行けば何か楽しいことがありそうだ」と漠然とした期待を持って上京する人もいるだろう。

 こうして見てくると分かるように今後も東京への一極集中が進む理由はあっても、その逆の要素はあまりないのである。そして東京への一極集中の弊害は近年増々指摘されるようになった。

●東京が過密になることによって通勤ラッシュや道路の渋滞は解消されず人々のストレスが溜まる。
●自然災害(とくに大地震)やテロに対して脆弱になり、起きた場合に大惨事になる。
●エネルギーが不足する。
●東京の未婚率・出生率の低さは全国一だが、これがさらに進む。その理由の多くは生活コスト(物価・家賃の高さ)と生活環境・子育て環境の悪さだ。
●東京の人口増加に比例して地方の過疎化・高齢化が進む。その結果地方の経済・文化・政治が急速に衰退する。

 今の場所に住んでいると、日々の生活の中で東京の一極集中をそれほど意識することはない。けれども今後政府が本当に実効性のある施策を本気で実行しないと、近い将来東京があるいは日本がSF映画や近未来小説のような悲惨な世界に変わりそうな予感がする。この話題とは離れるが、以前から日本の人口が北欧諸国のように500万人程度になったらどんなにいいのにと、能天気に考えている。もちろん実現する可能性などないが。東京に限らず日本全体で見ても狭い国土に人口が多すぎる。それは明らかだ。参考までの世界各国の2017年の人口を見る。(数字はいずれも約だ)

ベスト3は
中国     14億人
インド    13億人
アメリカ   3億2000万人

で、人口も多いが国土も広い。そのほかの先進国を見ると、

ドイツ      8200万人
イギリス     6600万人
フランス     6500万人
イタリア     6000万人
スペイン     4600万人
カナダ      3600万人
オーストラリア  2500万人
ニュージーランド 470万人

北欧諸国は
スウェーデン  990万人
デンマーク   570万人
フィンランド  550万人
ノルウェー   530万人

こうして見ると日本の人口1億2000万人は国土の面積に比してどう見ても多いような気がする。そして現在人口の多い国ほど問題もまた多く抱えているような気がして仕方がない。「人口が多い」=「問題が多い」=「住みにくい」のだとしたら、日本がそうであるのも仕方がないことと諦めるしかないのか。



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どうして「国民ファースト」にならないのか? 

 金融庁が発表した「老後の生活費が2000万円不足」の報告書が波紋を呼んでいる。野党は参院選に向けて格好な争点として捉え、政府や自民党は火消しに躍起になっている。監督官庁の麻生財務相は「正式な報告書として受け取らない」と異例の対応をした。

 今回の2000万円騒動と政府が先月中旬に発表した高齢者雇用安定法改正案を並べて考えると分かりやすい。改正案では企業に70歳まで働ける雇用環境を整えるように努力義務を課したのだ。これは近い将来(10年足らずのうちに)定年が70歳まで延長されることを意味している。つまり多くの国民にとって現状のままでは、老後生活が立ち行かなくなるということを政府もはっきりと認識しているということだ。さらに定年を繰り下げて年金支給も70歳まで遅らせないと、近い将来年金財政も破綻するということだ。また今の年金の支給額では多くの高齢者は安定した老後の生活は送れないということもはっきりしている。例えば40年間国民年金保険料を納めて満額支給されたとしても年間約78万円(月額65000円)の年金しか受け取れない。この少ない国民年金の支給額が過去たびたび問題にされてきたが、厚生年金にしても平均月額は約15万円にすぎない。そしてこれに加えて今後支給開始年齢が繰り下げられ、支給額も年々減るだろうと見られているのだ。

 それらを考えれば「2000万円問題」も何を今更という感じで、ただ懸念していたことがはっきりした数字で示されただけではないのか。多くの国民は自分の老後に対して、漠然とした経済的不安を持っていたはずだ。それが明らかになっただけで、政府が言うように「不適切な表現」でも何でもないと個人的には感じている。このような政府にとって「不都合な」問題をごまかして曖昧にしようとするから、議論も進まず具体的な解決策も示されずに終わる。本来ならば参院選の勝敗がどうこうのといった問題ではない。常に問題がそこに矮小化されるから何も解決しない。本質は国民にとってどうしたら最も利益になり、そのために何をすべきかということのはずだ。政府は逃げたりごまかしたり隠したり曖昧にしたりせずに、年金問題と正面から対峙して最も良い解決策を国民に正直に示すべきなのだ。「年金100年安心」などと根拠のない表現で国民を騙さないことだ。この不確かな時代に100年先のことなど誰にも予測できるはずがない。

 庭のアジサイが見頃になってきた。毎年思うけれど色といい、形といいアジサイの種類は多彩だ。

P1070480 アジサイ1
P1070481 アジサイ2
P1070482 アジサイ3
P1070483 アジサイ4


 バラの葉にアゲハチョウがとまっていた。キアゲハのようである。どこかから翔んできたのか、それともこの庭で羽化したのだろうか。そういえば春にパセリの葉を食べている幼虫が2匹いたのを見たのを思い出したが、あれがそうかもしれないと合点した。狭い庭だがけっこう生物多様性に富んでいるではないか。
P1070485 アゲハ

 ヒメスイレンは去年咲かなかった。今年は期待しているのだけれど。
P1070487 ヒメスイレン

 今年の2月頃玄関わきの小さな紅梅の木にいくつか鮮やかな赤い花が咲いていたのは気がついていたが、今日みたら大きな梅の実がついていたの採ってきた。しばらく塩水につけてから齧ると美味いのである。
P1070488梅の実


 塀と道路の境界の小さな隙間からいつの間にかアザミが生えてきてもう蕾もついている。どこかから種が飛んできたのだろう。この逞しさはやはり雑草の証だろうか。
P1070489 アザミ


 雲の切れ間から少し青空も見えるけれど、今日も雷雨に注意と天気予報では言っていた。


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「取り返しのつかない」こと。 

 今日の朝刊のコラム「折々のことば」を読んでいた。

 「老いるとほんとうに『取り返しがつかない』」という言葉に考える。ここで書かれた「取り返しがつかない」というのは「失敗」や「過ち」のことではない。ただ「年をとる」ということなのだ。だから自分が悪いわけではない。「この世に自分の来し方を知らない人たちだけが残された時の寂しさ」と書いてある。「来し方」という言い方は最近あまり聞かないが「過ぎ去った過去」のことだ。高齢者の「来し方」は当然同時代に生きた親しい同じ高齢者にしかわからない。

 店に時々やって来る70代中頃の男性がいるが、この1年ほどの間に親しい友人が3人相次いで亡くなったといって、随分気落ちしていた。こちらはどうにも慰めようもない。このような話を最近時々耳にする。自分が先か相手が先かそれは誰にも分からない。しかし多少の前後はあってもそれほど時期が異なるわけではないだろう。100歳以上生きる人はとても稀なのだから。しかし自分が後に残ったらやはり淋しい気分になるだろう。「あの頃は楽しかった」と語り合える相手がもういないのだとしたら。夫婦だったらよけいにその感情は強いだろうと思う。

 海底の竜宮城で楽しく過ごして時を忘れた浦島太郎が元の世界に戻った時、海底で数日だと思っていた時間が地上では何百年も経っていて両親も自分の知った人間ももういなかった。呆然とした浦島太郎は「決して開けてはいけない」と乙姫に言われた玉手箱を思わず開けてしまう。その瞬間に白い煙が出てきて太郎は一瞬のうちに白髪の老人になってしまう。これが浦島太郎のストーリーだが、この伝説は一体何を言おうとしているのか、どこかに教訓があるのだろうか。童話は大体ここで終わっているのだが、一説によるとその後日談がある。老人になってしまった浦島太郎は鶴に変身し、亀に変身した乙姫と出会って長く幸せに暮らすという話なのだが、これが「鶴は千年、亀は万年」というめでたい長寿の象徴になったのだろうか。どうして一般に流布している「浦島太郎伝説」はこのようなハッピーエンドで終わらなかったのだろうか。

 しかし浦島太郎が地上に戻ったとき、そこに同時代の人間がまったくいなかったという恐怖と絶望は、冒頭の「取り返しがつかない」と思う感情と似ているものだっただろうか。童話というものは読み方によっては他愛ないものだが、ふと考えるととても怖いものがある。



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雨に濡れた朝 

 今日の朝刊の1面は「安倍首相が衆参同日選見送りで最終調整」の記事だった。このところの支持率安定で参院選単独でも十分勝てるとの見通しを持ったのだろうか。

 昨日の参院決算委員会では、「退職後の年金暮らしの夫婦が95歳まで生きるためには2000万円が不足する」とした金融庁の報告書を巡って政府と野党の間で激しい応酬が行われた。安倍首相も麻生財務相も「不適切な表現」と釈明したが、重要なのは表現の問題ではなく、実際に年金だけではやっていけない大勢の高齢者がいるという現実だ。とても「100年安心」などと言えたものではない。そしてこの年金の現状は年々悪化することは目に見えている。金融庁を監督する立場の麻生財務相が報告書を「すべては読んでいない」と答弁したのには驚いた。これほど国民の間から批判が出ているのに、この問題に関心がないとしか思えない。第一次安倍政権は「消えた年金問題」後の参院選で惨敗して崩壊したが、今回は果たしてどうなるだろう。

 地上配備型ミサイル防衛システム「イージス・アショア」の秋田県への配備計画でデータの不備が明らかになった防衛省だが、その後の説明会で担当者が居眠りをしていたのを住民に指摘されまた問題になっている。岩屋防衛相は「緊張感を欠いた不適切な行為だった」と同じ参院決算委員会で謝罪したが、どうも世の中には「不適切」な行為や発言を行う人たちが横行しているようだ。

 昨日は一日中雨が降り続いて、時折強く降った。梅雨入りするとほとんど雨が降らないというのがこの数年の印象だったが、これほど雨が降り続くというのも珍しい。今朝は雨は止んでいたが、午後から夜にかけてまた雷雨が予想されている地域もある。どうも昨日の雨は梅雨前線によるものではなく、関東地方にあった低気圧が原因らしい。そこに北東からの冷たい空気が吹き込んで随分気温も低かった。4月上旬ころの陽気と言っていたから、季節が2カ月ほど戻った感じだ。今朝も随分肌寒かった。暑がりの自分にとってはこのくらいの方がありがたいが、やはり気分的には早く晴れて欲しいと思う。




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サザエのこと。 

 今日スーパーマーケットに買い物に行ったら鮮魚売り場でサザエを売っていた。思いがけず安かったので買ってきた。つぼ焼きにして食べようと思ったのだ。しかし帰ってきて考えてしまった。自宅のコンロはIHなのでどう焼いたらいいのか分からない。グリルで焼こうとしたが殻が引っかかって中に入らない。仕方がないのでオーブントースターで焼いてみたが火力が弱いのかなかなか焼けない。それをさらにIHコンロに置いたフライパンの中に入れて焼いて何とか食べられるようになった。IHコンロは火災の心配がなくて高齢者にとっても安心だが、こんな時には随分不便なものだと思った。考えてみたらサザエのつぼ焼きなどもう30年近く食べた記憶がない。

 子供時代夏休みの期間は台風でも来ない限りほぼ毎日海にいた。朝から夕方までいたのだ。家が海に近かったので昼飯の時間だけ走って家に戻った。泳いでいたわけではなく、素潜りでサザエやアワビやトコブシなどを採っていた。そして岩場でたき火をしてそのサザエやアワビを焼いて食べるのだ。毎日たくさん採ったので食べきれない分は家に持って帰った。しかしガスコンロで焼いても、あの海で食べる美味さは味わうことが出来ない。それを知っているから、東京に出てきてから魚屋やスーパーで売っているサザエを見ても、それを買ってきて自宅で焼いて食べようという気は起こらなかった。もうひとつは子供の頃の夏、海で食べたあのサザエの美味かった記憶を忘れたくないと思ったのだ。

 もう半世紀以上前の1960年代、前回の東京オリンピックが開催された1964年に合わせて開通したのが東海道新幹線や首都高速道路や羽田ー浜松町間の東京モノレールだ。名神高速や東名高速の開通もその前後だった。自分の田舎の伊豆でも、伊東ー下田間に伊豆急行という私鉄が開通したのが1961年(昭和36年)だった。開通の日には全校生徒が旗を振りにいったのを覚えている。開通と同時に田舎の町に観光客がどっと押し寄せてきた。別荘地の売り出しが盛んになり、新しいホテルの建設ラッシュが始まった。民宿が出来始めたのもちょうどその頃だ。何だかよく分からないが日本中が高揚し、誰もが興奮していたようなおかしな時代だった。もっとも子供の自分にそんな状況が理解できたわけもないが。

 とにかくそんな風に日本が大きく変わろうとしていた時代の夏、何も知らない子供だった自分は毎日海に潜ってサザエを採り、海辺でそれを焼いて食べていたのだ。今日の夕食にほろ苦いサザエを食べながら、そんな頃のことを少し思い出していた。

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今年もヤモリがやってきた。 

 5月下旬には真夏のような暑さがあったと思ったら、今日は一転して肌寒い。これが梅雨寒というのだろうか。昨日は雷雨の予報だったけれど、時折青空も顔を出して雨はまったく降らなかった。今日は早朝から霧雨だ。

 昨夜、今年初めて玄関灯の下にヤモリが現れた。明かりの下に集まってくる虫を狙っているのだろう。毎年決まって今頃の時期に現れて、秋の訪れと共にいつの間にかいなくなる。カレンダーのように正確だ。温度や湿度や日照時間などを感知できるのかもしれない。あるいは餌になる虫が現れる時期が分かっているのか。壁に貼りついている姿はなかなかユーモラスでもある。

DSC_0418 ヤモリ2

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読書会のご案内 

 7月6日(土) 午後3時から読書会を開催します。
 興味のある方は下記問い合わせ先または「午後の時間割」までご連絡ください。

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このような惨状は日本に限ったことではないのだろうが。 

 札幌市でまた親の虐待によって2歳の長女が死亡した。事件のニュースを聞きながらあれだけ大きく取り上げられた目黒や千葉の虐待死事件の教訓がまったく生かされなかったのかと暗澹とした気分になる。今回も虐待を疑う周辺住民から児童相談所や警察に通報があったにもかかわらず事件を防げなかった。札幌市児童相談所の所長が記者会見で「認識が甘かった」と語っていたが、本当に事件の重大性と自身の責任を感じているのか疑問に思ってしまう。この仕事は本当に「お役所仕事」ではやれないと感じる。責任感と使命感と行動力のある人間でなければ児童相談所の所長は勤まらないだろう。地方自治体の職員にそれを求めることに無理があるのだろうか。警察の無責任さもまったく同様だ。警察官は虐待に無知だし、児相職員には強力な捜査権限がない。だから両者が一緒に訪問しなければだめなのだ。そして捜査令状を持って家宅捜索できるような強力な体制で臨まなければ、このような事件は防げない。虐待する親たちは児相の立ち入り調査など軽く見ているし、虐待を巧妙に隠蔽したりごまかそうとするだろうから。事件が起こるたびに安倍首相も政府も「このような事件が二度と起きないように」とコメントするがそれが二度も三度も四度も繰り返される。個々の稀な事件であり、国全体で取り組む必要があるなどとは誰も本心では考えていないのではないか。だから時間と共に悲惨な事件も日常に埋もれ忘れられていく。そして遠からずまた同様の事件が起こるのだ。

 金融庁の報告書で老後の生活費が2000万円不足するとした内容が批判されている。年金暮らしの65歳以上の夫婦で、月々の生活費が平均5万円不足するというのだ。だからそれぞれの高齢者が自分たちでなんとかしろという無責任な内容だ。麻生財務相は「100歳まで生きるなんて誰も予想していなかったのだから仕方ないだろう」と言わんばかりの相変わらず無責任で傲慢なな口ぶりだ。それがここへきてその麻生財務相や菅官房長官が「報告書は表現が不適切だった」と釈明したが、本人たちがそう思っているわけではサラサラなく、野党が参院選で争点化するのをただ避けたいだけだ。大体麻生のような親の財産を貰って、お金の苦労など一度もした経験がない人間が財務相になっても、国民のための政策など考えるわけがない。年金が減ろうが消費税が上がろうが物価が高くなろうが、本人は痛くも痒くもないのだから。こちらも夫婦ふたりの年金生活に突入しているが、今更2000万円不足すると言われたってない袖は振れない。だから得意の「ケセラセラ」でいくしかない。

 子供を作りたいという希望がかなった場合に見込める出生率「希望出生率1.8」の実現を掲げて少子化対策を進めると言ってきた政府だが、2018年の希望出生率は1.42と目標に遠く及ばず3年連続で低下した。昨年の出生数が約91.8万人、死亡数が136万人だから、人口は毎年50万人近く減っていく計算になる。非常に単純な差し引きで分かりやすい。結婚件数も戦後最低だったそうだ。この政府が設定した希望出生率の1.8という数字自体の根拠からしてあまりに安易で単純だと出された当初に批判されたが、そもそも国や政府が少子化問題を真剣に考えているのか疑問に思ってしまう。本気度が少しも感じられないのだ。政府は少子化の原因に「子育てと仕事の両立の難しさ」や「経済的な事情」を挙げているが、本当に実態を把握していてその対策を検討・実行しているようにも見えない。ただ保育所を増やせばいいということでもないし、「女性の社会進出」をいくら言ったって企業にそれを法的に義務付けなければ実効性などない。相変わらず給与も待遇も男女間で大きな隔たりがある。女性管理職や女性議員の比率は先進国では常に最低レベルのままだ。男性も女性も育児休業の取りにくさは相変わらずだ。男女ともに収入が少なければ年齢が高くなって給与が上がるまで結婚できないから当然晩婚になって子供の数は減る。「経済的な事情」とは給与が上がるどころか下がっていることだと本当に認識しているのだろうか。その大きな原因は非正規雇用の増加だ。非正規雇用を制限しなければ低い給与は改善されないことは分かり切っているのに、政府のやっている規制緩和政策はそれに逆行することばかりだ。このように言行不一致なことばかりやっているのだから少子化など改善されるはずがない。

 こうして並べてみるとよく見えてくる。国や政府にとって虐待死の問題も、年金問題も、少子化の問題も、直近の参議院選挙や同日選も取りざたされている衆議院選挙の票には直接的に影響しないのだ。安倍政権や議員にとって、選挙で当選するかどうかだけが重要で唯一の問題なのだから、そこには「国民にとっての利益」などという考え方は元から存在しないのも自明のことだ。

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