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沈丁花 



 昨日知人夫妻の家の庭の紅梅が咲いていた。沈丁花の蕾も膨らんでいる。それを眺めていたら夫妻が出てきて、挿し木をすれば根付くからと沈丁花の枝を切ってくれた。我が家には沈丁花はない。上手く根付くかどうか分からないが試してみようと思う。聞いたらその知人ももらってきた沈丁花の枝を挿し木したものがここまで育ったのだという。


 ご主人の方は今年89歳だという。奥さんもおそらく85か86歳だろう。二人共に闘病生活が長いが昨日は二人で元気に散歩に出かけていった。奥さんは80歳の時に運転は止めたそうだが、ご主人は今でも乗っている。近年高齢者の暴走事故が多いから心配だが、足腰が弱ってくると「車が頼り」という事情も分からないではない。車がなくても高齢者が生活しやすい社会を、日本の政府は実現できるだろうか。自分は懐疑的だが。



 因みに「沈丁花」は「じんちょうげ」と読んでも「ちんちょうげ」と読んでもどちらでもいいらしい。自分は若いころは「ちんちょうげ」と読んでいたが、なぜか中年以降は「じんちょうげ」と読むようになった。変えた理由は思い出せない。何かに影響されたのかもしれない。











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共産党のこと。 



 「共産党は5日、党員の直接投票で党首を選ぶ『党首公選制』導入を求めている現役党員でジャーナリスト・編集者の松竹伸幸氏(68)を党規約上最も重い『除名』処分とする方針を決めた」という記事を見た。



 松竹氏の著書での主張などが「分派はつくらない」とする規約に違反すると判断したのが理由だという。しかしおかしな話だ。「公選制を導入せよ」という主張が分派活動になると断じるなら、どこかの独裁政権と何ら変わりはない。



 松竹氏は志位和夫委員長の在任期間が22年を超えたことについて「国民の常識からかけ離れていると言わざるを得ない」などと批判してきた。そして「党内論争の可視化のため党首公選制の導入を求め、党首選が実施されれば自ら立候補する」などと主張してきた。



 志位委員長は「規約と綱領からの逸脱は明らか」と「赤旗」を引用しながら述べているが、松竹氏に対する直接的な反論や処分に言及しているわけではなくこれも不可解だ。松竹氏を除名する前に党規約や綱領改正についての党内議論もしないのだろうか。現在共産党は2~3年ごとに開く党大会で選出された中央委員が、党代表の委員長を選ぶ仕組みを採用している。しかし野党として今後政権獲得を目指すのであれば、個人的には民主的な公選制の導入は不可欠ではないかという気がする。



 松竹氏の主張を直接読んだり聞いたりしているわけではないので、共産党の主張が100%間違っているとは言えないが、どうも今回の党の対応には釈然としない。日本の政党の中で、共産党が最もまともなことを主張している政党だとこれまで思ってきた。今後さらに多くの国民に支持されるためには、今回の対応をどうするかは非常に重要だ。一歩対応を誤れば多くの支持者は離れていく。



 重要なのは「民主主義」と「透明性」だというのは論を待たない。「ダブルスタンダード」や「教条主義」では誰からも信用されなくなる。





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変わっていく。 


 昨日の歳時記カレンダーには「初午・旧正月」、今日は「旧藪入り」と書いてある。昨日は旧暦の1月16日で今日は17日だ。薮入りとは、嫁が実家へと帰ったり、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人たちが実家へと帰ることが出来た数少ない日だったのだ。



 彼らはこの旧暦1月15日と旧暦7月15日の盆にしか実家に帰る事が出来なかった。1年のうちで2回しか休日がなかったのだ。戦後、労働基準法が導入されて労働環境は大きく変わり、毎週日曜日に休めるようになった。その結果「藪入り」という習慣も徐々に廃れてきたが、今もその伝統は正月や盆の帰省として名残を残している。



 初午(はつうま)とは、2月の最初の「午(うま)の日」をさし、稲荷神社のお祭りが行われる日だ。「稲荷」とは「稲が成ること」を意味していて、この「初午」も豊作・五穀豊穣や家内安全を祈願するお祭りだ。なぜ狐が神の使いになったのか知らないし、その好物がなぜ「油揚げ」や「いなり寿司」とされたのかも知らない。ただ従来からこの日にはいなり寿司を作って食べる習慣があるようだ。我が家にはそんな習慣はないが。



 昔からあったこのような習慣や風習も年と共に消えていく。歳時記カレンダーを見ているとそんなことをよく感じる。地方の過疎化や高齢化が進んで地域共同体は徐々に崩壊していく。昔からの伝統や風習も受け継ぐ人がいなくなり、いつしか忘れられていく。そのような伝統や風習を保存しようと懸命に取り組んでいる人たちもたくさんいるが、時代の流れに抗していつまでつづくかは分からない。何事においても先行きの見えない時代だ。




20230205_130518紅梅






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これが岸田政権の正体か? 



 今日の朝刊一面は、性的少数者や同性婚を巡って差別発言をした荒井首相秘書官を、岸田首相が更迭したという記事だった。


 今回は岸田首相にしては珍しく、随分即座に決断したものだ。政権発足以来このようなスピーディーな対応は安倍元首相国葬に続いてわずか二度目だ。余程思うところがあったのだろうか。岸田首相は更迭後の会見で、「多様性を尊重し、包括的な社会を実現していく内閣の考え方には全くそぐわない、言語道断の発言だ」と批判し、「LGBTや性的指向、性自認を理由とする不当な差別、偏見はあってはならない」と強調したが、口調はもうひとつ歯切れが悪かった。本心から「そぐわない」と思っているのかどうか。



 今後の政権運営への影響を気にしているのだろうが、会見でのその表情は終始硬かった。会見では荒井発言を厳しく批判したが、内心でどう思っているかは分からない。岸田首相は今月1日の衆院予算委員会で野党が同性婚の法制化を求めたのに対し、「家族観や価値観、社会が変わってしまう」と否定的な発言をした。荒井秘書官の発言は岸田首相の胸中を代弁しようとした結果ではないのか、と自分などは思う。そしてそれは岸田首相も感じていたはずだ。



 岸田首相は就任直後から「多様性のある包摂社会」と言い続けてきたが、今回の一件でもそれが「口だけ」「言うだけ」だったのではないかという思いを強くする。口では「多様性が大事」と言いながら、人権感覚の低さや差別意識が横行するような土壌が岸田首相の周辺にあったのではないかという疑いさえ持ってしまうし、それは今でも変わらないのではないか。



 今回の出来事は海外メディアにも取り上げられているようだ。5月には岸田首相の地元の広島でG7が開かれる予定だが、現在G7の中で同性婚が認められていないのは日本だけだ。その政権の中心でこんな発言が行なわれたことで、日本の人権意識の低さが改めて注目されるだろう。G7議長国日本の人権感覚さえ問われる事態だ。日本人全員が荒井秘書官と同じような考え方だと誤解されたくはないが。



  荒井秘書官は「同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」という趣旨の発言をしたが、本当にそんなことを考えていたとしたら驚きだ。荒井氏は岸田首相のスピーチライターだったそうだ。これまでの岸田首相の会見などでの原稿を書いていたわけだが、その荒井氏がこんな無責任な発言をして、岸田首相は一体どう思っているのだろうか。今回の秘書官更迭は、これまでの不祥事による大臣更迭などよりも数倍重大な問題かもしれない。「国を捨てる人が出てくる」という発言について今日の朝刊のコラムが書いている。



「世界には、母国を去らざるを得ない人々もいる。独裁政権に抵抗して、身の危険が迫った人。内戦のために、命がけで、ボートに乗った人。『国を捨てる』発言は、懸命に生きる様々な人を侮辱している」



 今日本にもウクライナから戦火を逃れて避難してきた人たちが大勢いる。彼らがいつ祖国に帰れるかは分からない。そんな中、政権の中心にいる人間の発言としては余りにも軽すぎる。しかし覆水は盆には返らない。





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過去への旅 



 誰の人生にも一度や二度は転機や分岐点があるのだとしたら(以前も同じようなことを考えた気がするのだが)、自分にとってのそれはいつどこでだったろうと考えるが、よく分からない。



 どうしたら思い出すだろうと考えたことがある。自分が生まれた場所を訪れてみる。通った学校や勤め先の近辺を歩いてみる。これまでに住んだ場所や生活した商店街に行ってみる。昔様々な関係で付き合いのあった人間に会ってみる。電話をしたり手紙を書いてみる。自分が一番好きだった場所と嫌いだった場所に行ってみる。昔好きだった作家の本を読み返してみる。よく聴いた音楽を聴いてみる(これだけは最近もよくやっている)。



 いろいろとヒントになることもあるかもしれないが、どうもそれを実行する気力が出てこない。それが今の一番の問題だ。いまさら昔のことを考えてみても仕方がないという気もする。紆余曲折の結果今の自分がいるわけだし、今更なにかをやり直すこともできない。忘れた方がいいことも多い。



 「自分の過去や秘密は誰にも告げずに墓場まで持っていく」というようなセリフが、映画を見ていると時々出てくる。自分の場合はそれほど大袈裟なことではないのだが。








 このジャクソン・ブラウンをよく聴いているのも思い出そうとする一環なのだ。かれの音楽は10代の終わりから20代の始めころにかけて本当によく聴いていた。彼の3rdアルバム「Late for the sky」にデビッド・リンドレーの存在は欠かせなかった。彼がバックにいなかったらあれほどの傑作にならなかっただろうと思う。彼はスチールギターやバイオリンの名手だが、ほかにも様々な楽器を弾く。この曲ではマンドーラという珍しい楽器を弾いている。


この曲は男が女に許しを乞うているような内容の歌のようだが、その事情がどういうものなのかはよく分からない。



君が費やしたものを
僕が判ってさえいたら
ローンにできないだろうか
僕の借りた負債
僕の賭けで失ったものを



という歌詞を見てもよく分からない。 







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天国のバリケード 



 この曲はジャクソン・ブラウンが自分の子供時代を思い出し、あるいは10代で音楽活動を始めたころの駆け出し・下積み時代のことを懐かしんで歌っている曲のようだ。


 その後ジャクソンは着実に音楽キャリアを積んで、今では世界的なシンガー・ソングライターになった。彼の曲の詩は難解なものが多いが、政治批判や社会批判、反核や反原発、エコロジーなどに言及した曲も多い。


 誠実に生きようとすればするほど、あるいは社会や環境に関心を持とうとすればするほど、個人的なことばかりは歌っていられないということなのかもしれない。







Better bring your own redemption
when you come
To the barricades of Heaven
where I'm from.

きみが来るときは
償いを持ってきた方がいい
僕の生まれた
天国のバリケードに来るときは



この部分の歌詞の意味がよく分からない。







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変わらないものはない。 



 渋谷の東急百貨店本店が先月末で閉店した。「55年の歴史に幕」とテレビニュースで報じていた。跡地には36階建ての複合商業施設が出来るそうだ。新宿の小田急百貨店にも同様の計画があるし、京王百貨店も池袋の西武もやはり遠からず閉店するようだ。駅中・駅前の百貨店はみなその使命を終えたということか。


 売り上げが落ちる一方のデパートを駅前の超一等地に置いておくのも経済効率が悪いということなのだろう。「デパート」という業態自体がすでに何年も前から寿命を迎えている。


 若いころ渋谷には始終出かけていたのに、東急百貨店に入った記憶がほとんどない。小田急百貨店や京王百貨店も数えるくらいしか行かなかった。それも買い物をしに行ったわけではなく、多分食事かコーヒーを飲むためにだ。伊勢丹も三越も同様だ。自分のライフスタイルにとってデパートの必要性はゼロだったと言ってもいい。


 新宿駅は大きく変わったが、それと共に新宿の街も驚くほど変わった。自分が多くの時間を過ごした70年代初頭の新宿の面影はどこにもない。今新宿に行って街を歩いても、当時の風景も風俗も空気の匂いも喧騒も猥雑さも思い出すことが出来ない。すべてがきれいに均質化され、個性も「くせ」もどこにもない。


 思い出すと悲しくもなるが、新宿はすでに自分にとって「無縁の街」になってしまった。












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立春 



 今日は「立春」だが、だからどうだということもなく、何かをするということもない。


 「立春」「立夏」「立秋」「立冬」というのはそれぞれ四季の始まりだが、同じ二十四節気でも「春分」「夏至」「秋分」「冬至」に比べると、心なしか影が薄いように感じてしまう。


 明日は七十二候の「東風解凍(とうふうこおりをとく)」だが、これは「暖かい春の風が氷を解かす頃」という意味なのだ。しかし実際はカレンダーとはまったく違っていて、寒さはまだまだこれからだ。数日前にはオホーツク海沿岸に流氷の初着岸が観測されたと言っていた。


 しかし寒さに怯えてほとんど出かけず、自宅に引き籠もっているような自分だが、それでも日々は「容赦なく」過ぎていく。本当に「情け容赦なく」ということばかり感じている。もう2月になってしまった。




20230203_085224クリスマスローズ

別に情けが欲しいわけではないが。






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「親ばかちゃんりん、蕎麦屋の風鈴」 



 2月3日夜、記者団に対して、LGBTQなど性的少数者や同性婚のあり方を巡り、差別的な発言をした岸田首相秘書官の荒井勝喜氏だが、この後謝罪して取り消したが進退問題に発展すると見られている。彼はLGBTQなど性的少数者を「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ」と発言した。


 その荒井秘書官の息子が去年3月に高田馬場駅前でトラブルを起こしたという記事をみた。「深夜1時半過ぎ、タクシーの乗車を巡り、早大4年の学生と20代の会社員との間でトラブルが発生し、つかみ合いの末、交番から警察官が駆けつける事態になった」と書かれている。この早大生が荒井氏の息子だ。その際に息子は駆け付けた警察官に「俺の親父は総理秘書官だぞ! お前ら、所轄のお巡りは高卒だろ!」と発言したらしい。これも父親が首相秘書官でなければニュースにもならない事件だったろうが。



 この「バカ息子」もおそらく長年父親の背中を見ながら好き勝手に育ったのだろう。件の父親の差別発言を見ればよく分かる。こんな時によく「この親にしてこの子あり」などと言ったりする。


 しかしこのような人間が政権の中枢にいるのだから、LGBTQなど性的少数者への差別問題も改善するはずもない。過去に月刊誌の論文で「LGBTの人たちは『生産性』がない」と記したほか、みずからのブログに国連の会議に参加した時のことについて「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場」などと掲載し、先の国会で「配慮を欠いた表現だった」と謝罪し撤回した杉田水脈総務政務官が去年12月ようやく辞任した。


 国会で野党などからの批判が高まっていたが、杉田政務官は「内閣の一員として迷惑をかけたくない」として辞表を提出した。もちろんその主張を変えたわけでもないし、本心で発言の撤回や謝罪をしているわけではない。人間の本質というのはそれほど簡単に変わるものではない。過去にそんな差別発言を繰り返してきた杉田氏を政務官に起用しつづけた岸田首相にもまったく呆れるが、今度は岸田首相自身の長男で政務秘書官を務める翔太郎氏が、1月9日~15日の岸田首相の欧米歴訪に同行した際、在外公館の公用車でパリやロンドンを買い物や観光をしていたとして批判されている。


 荒井秘書官と同様だが、こちらは「バカ息子」だけでなく「親バカ」のレベルも酷い。しかし政治の問題ならともかくこのような程度の低い問題ばかり聞かされる国民もうんざりだ。



 ひとつだけ分かることがある。このような政権がいくらLGBTQ問題や同性婚問題や少子化問題に取り組むと言ったところで、所詮何も解決も進展もしないことは明らかだ。そんなことはやる前から分かる。政権自体を丸ごと変えないかぎり、時間と税金の無駄というものである。






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節分 



 今日は「節分」だ。以前だったら平凡な歳時記的なニュースに過ぎなかったのだろうが、昨夜や今朝のニュースでは「大豆の値上がり」の事ばかり言っている。別に大豆が値上がりしたから豆まきを中止するなどということはないのだろうが、大豆値上がりの影響で納豆や豆腐や油揚げなどもみな値上げだそうだ。何だか本当に「世知辛い」時代になってきた。


 節分という言葉には、昔から「季節を分ける」という意味があるそうだ。今日は「冬と春を分ける日」なのである。明日は「立春」だが、「節分」や「立春」以降はいよいよ「春」ということになる。まだまだ寒い日は続くが、昔から誰でも冬が終わって春になるこの「節分」や「立春」は、その言葉の響きだけでも嬉しかったのだろう。


 最近はあまり見なくなったが、昔は子供のいる家なら必ず豆まきをした。「鬼は外、福は内」と言いながら豆(大豆)をまく。「鬼(悪)を追い出し、福(幸福)を呼び込む」という単純明快な図式だ。このような風習は日本だけでなく世界中にあるらしい。詳しくは知らないが。我が家では買ったことも作ったこともないが、「恵方巻」も同様の風習なのだろう。だれでも福や幸運に来てほしいのだ。


 最近の都会ではほとんど見ないが、田舎に行くと今でも節分になると玄関先に「柊鰯(ひいらぎいわし)」を飾る。自分の家の近所でも稀に見る。ヒイラギの枝の先に焼いた鰯の頭を刺して玄関に飾る。これも豆まき同様「魔除け」の意味がある。ヒイラギの葉は痛いし、焼いた鰯は臭いから鬼がその家を避けて近寄らないということなのだろう。



 「消費者庁は、節分で恒例の豆まきの豆や恵方巻きは高齢者や子どもが喉に詰まらせる恐れがあるとして、注意を呼び掛けている」


 などというニュースを聞くたびに本当に「今日的」だと思う。高齢化が進んでいなかったたかだか半世紀前には、こんなことは決してニュースにもならなかっただろう。



 今日「冬の終わり」を感じている人はどのくらいいるだろう。「春の到来」を感じている人はどうだろう。ちょうど1年前の今頃、開戦間近のウクライナで人々はどんな生活を送っていたのだろう。戦争の予感を感じていただろうか。そんなことは思いもしないで平凡な日常生活を過ごしていただろうか。ウクライナにも「節分」のような行事や習慣があるのかどうか知らないが、きっと国民はみなロシアを鬼のように感じているに違いない。鬼を退治することは出来るだろうか。ウクライナ領土の外へロシアを追い出すことは出来るだろうか。




20230203_085144水仙







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劣化し始めた人生を騙し騙し生きる。 



 どうもメカに弱いのでシステムのことがよく分かっていないのだが、我が家はヒートポンプ給湯器なるものを使っている。これでキッチンや風呂や洗面所の給湯と床暖房を行なっている。



「ヒートポンプ給湯機は、室外の空気から熱を汲みあげてお湯をわかします。このとき、電気のエネルギーは熱を運ぶための動力として使い、お湯をわかすときは、室外から汲みあげた熱と一緒に、お湯をわかす熱になります。このため、お湯をわかす熱の効果は、外気から汲みあげた熱と、ヒートポンプが使った電気の熱の合計になります。」


 この説明書きを何度読んでもどうも理解できない。外観はエアコンの室外機のような形の「ヒートポンプユニット」と、「貯湯ユニット」と呼ばれる大きな長方形のタンクの二つから成っている。



 このヒートポンプ給湯器の調子が一昨日から悪くなったので今日業者に頼んで見てもらった。調べたら原因はヒートポンプユニットからの漏水だった。それですぐに修理してもらった。修理費は5万円もかかったが、お湯のある生活には代えられない。


 冬なら風呂は2、3日入らなくても我慢できるとしても、キッチンや洗面所でお湯が出ないというのがこれほど苦痛だとは思わなかった。朝、顔を洗ったり歯磨きをしたりするとき、あるいは食後にキッチンで食器を洗う時、冷たい水を使うのは本当につらい。でも考えたら自分の子供時代にはガス湯沸かし器さえなかったから、真冬でもすべて冷たい水を使っていたのだ。それが当たり前だったからとくに苦痛とも思わなかったが、人間というのは一度楽なことに慣れてしまうと、中々元の生活には戻れない。そういうものだと今回つくづく感じた。


 今回の故障の原因である漏水は、業者の説明だと「パイプの経年劣化による破損」だそうだ。経年劣化しないものなどない。工業製品はすべて経年劣化する。一般の家庭で一番多いのは家電製品だろう。使用して10年も経つと、壊れても部品がなくて修理不可能になる場合が多い。そうなればみな買い替えだ。


 住宅や家電製品が経年劣化するように、人間も年と共に劣化する。体の方が主に劣化する人もいれば、脳の方の劣化が激しい人もいる。人間は部品を替えるわけにはいかないから、病院で出来るだけ修理してもらって、あとは薬でも飲みながら騙し騙し頑張るしかない。



 家も劣化、設備も劣化、家電製品も劣化、それを使う人間自身も劣化。



 まあ世の中も人生もそういうものだから、あまり深刻に考えても仕方がないのだろう。所詮はなるようにしかならない。







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PPMを聴いていたころ。 





 試練はどこにある?


 試練はいつ終わるのか?


 どのページにも「自由」と書かれている本


 信仰を金で買えるか?


 富者と貧者で人間の価値が変わるか?


 常に富者は長命で貧者は短命か?



 
 遅すぎるということはない、


 という慰め



 試練  試練  試練



 決めるのは誰か?












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村上春樹の新作 


 村上春樹の新作長編(1200枚)が、4月13日に新潮社より刊行されることが発表された。前作長編の『騎士団長殺し』が刊行されたのが2017年2月だから、6年ぶりということになる。



 今後この関連のニュースがたくさん出てくるだろうが、村上春樹も73歳だからこの先多くの長編は望めないだろう。今回が最後の長編作品になる可能性もある。長編の執筆はとてつもないエネルギーを使うだろうから、「知力」だけでなくなによりも「体力」が必要なのだ。



 だから大家と言われる人でも、高齢になった晩年には小説の執筆が減り、毒にも薬にもならないエッセイばかり書くようになる。別にそれは責められることではないが。歌手でもスポーツ選手でも将棋の棋士でも同じで、人間にはだれにも「ピーク」というものがある。だからそれを自覚した人は引退する。作家にはそういうものはあまりないのかもしれないが。



 とにかく自分は村上春樹のファンなので、新作には大いに期待している。作品の内容云々よりも、彼の作品を読み終わるまでの時間が好きである。その楽しさをどう表現したらいいのかよく分からないのだが。




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映画のこと。 



 珍しく邦画を二つ見た。


 ひとつは1963年(昭和38年)に公開された黒澤明監督の『天国と地獄』であり、もう一つは1976年(昭和51年)公開の『君よ憤怒の河を渉れ』である。見た後の感想をひとことで言うと、どちらもちょっと期待外れだった。主演は『天国と地獄』は三船敏郎と仲代達也、『君よ憤怒の河を渉れ』の方は高倉健、とどちらの作品も嫌いな主演俳優ではないのだが。原作はそれぞれエド・マクベインと西村寿行の小説だ。


 『天国と地獄』の方は誘拐犯人に身代金を渡す方法が、特急「こだま」の洗面所の幅7㎝の窓からカバンに入った3000万円を外へ投げ落とすという方法が目新しい。新幹線が開業したのはこの作品公開の翌年のことで、この時は在来線特急の「こだま」が最速だったのだろう。新幹線には開く窓は一切ない。公開された3月以降、この映画に影響されて吉展ちゃん誘拐殺人事件など都内を中心に誘拐事件が多発して社会問題にもなった。


 『君よ憤怒の河を渉れ』は1979年に中華人民共和国(中国)で『追捕』というタイトルで公開され、文化大革命後に初めて公開された外国映画となったが、大人気となり中国での観客動員数は8億人に達したとされる大ヒットとなった。この作品の影響で高倉健や中野良子は中国でも人気俳優となったそうだ。個人的にこの作品で一番気になったのは音楽の酷さだ。緊迫感のある場面でなぜかコミカルな音楽が流れて興醒めする。原田芳雄のアウトローぶりは面白いが、日本にもしこんなダーティー・ハリーのような警察官が現実にいたら驚きである。



 映画だけでなく、小説でも音楽でも、万人が同じように高い評価をして好きになる作品というのはそうあるものではない。ある人にとっては最高に面白くても、別の人はまったくつまらなかったという例はいくらでもある。つまりはそういうことだ。それが人間であり、だから世の中も人生も面白いのだと言ってもいい。人間は測定機械やコンピューターとは違う。




 蛇足だが、 『君よ憤怒の河を渉れ』の「憤怒」は西村寿行の原作小説の奥付ではタイトルに「ふんぬ」とルビがふられているが、映画タイトルの方では「ふんど」になっている。自分は学生時代からずっと「ふんぬ」と覚えてきたので、この映画公開時に「ふんど」と聞いて随分違和感を感じた記憶がある。結論から言うと、漢字の読みとしては「ふんぬ」でも「ふんど」でもどちらも正しいのであるが、自分は「ふんど」は絶対に使わない。まあどうでもいいことではあるが。







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1月最後の日に。 



 このところ冬山での遭難のニュースがとても多い。


 その中でも「バックカントリー」と呼ばれる、スキー場など管理されたエリア以外でスキーやスノーボードを楽しむ人たちの遭難が特に多い。迷子や滑落や雪崩がその原因だが、今回長野県や群馬県で発生して死者が出た事故の原因も雪崩だった。スキーや登山の上級者でも雪崩がいつどこで起こるかを予測するのは難しいそうだ。


 29日に長野県小谷村の白馬乗鞍岳で発生した雪崩で死亡した31歳のアメリカ人男性は、2015年世界選手権の男子ハーフパイプで優勝経験のあるプロのフリースタイルスキーヤーだった。こんな人でも遭難する。自然の脅威の前ではプロだろうが熟練者だろうが、無力だということなのだろう。


 スキーをしない自分には分からないが、誰も入っていない新雪のパウダースノーの上を滑るのは快感らしい。林間の中を滑るのも自然をより身近に感じられて楽しいのだろう。しかし管理されていない場所というのはどんな場合でも危険が伴う。それは雪山だけでなく、海でも川でも砂漠でも同じだ。危険やリスクが快感だという変人には何も言うことがないが。


 
 北安曇郡小谷村の北アルプス白馬乗鞍岳天狗原で起きたこの雪崩事故で、巻き込まれた米国人のグループは長野県観光機構が航空券代金の一部を支援し、25~30日の6日間の日程で県内に滞在する予定だったことが分かった。 同機構によると、グループの航空券代金の一部を負担する代わりに、スキー場内で撮った写真を提供してもらう取り決めになっていたそうだ。同機構は、観光PRで写真を活用する目的で契約したのだろう。 同機構によると、雑誌に販売することなどを目的に県内のスキー場で撮影する海外のスキーヤーやカメラマンは、新型コロナウイルス流行以前から珍しくなかったという。



 誰も滑った跡のない雪山を撮影するためにはバックカントリーがたしかに必要だろう。長野県が遭難者たちにバックカントリーに行くことを要請したのかそれは分からない。しかしこのような事故の背景に、自分が思ってもいなかったような事情や背景があったのかと思うと何だか複雑な気分だ。所詮すべてはビジネスなのかと。



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安全地帯 



 動けば動くほど袋小路にはまりこんでいく


 進めば進むほど獣道に迷い込んでいく


 近道のつもりだったのに


 果てしなく遠い回り道になっている



 誰かがどこかからこちらを凝視している


 隠れても常に位置を把握されている


 ただ梯子を登っていく


 どこへ行くのかも分からずに


 そして墜落する



 どこかから微かな機械音のようなものが聞こえるが


 それが何の音か分からない


 部屋の中央に木製のテーブルと椅子が一脚ある


 机の上に電話機が置いてあるが


 コードがない



 眠気が襲ってくる


 それに耐えることは出来そうもない


 懐かしい顔がある


 どこかで見たことのある風景














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変化が苦手な人 



 LINE BLOGが今年6月29日をもって終了することが30日、発表された。3年ほど前にもヤフーブログが終了するというニュースがあった。今自分が使っているFC2ブログにも「ヤフーブログから引っ越してきました」などと書いている人を数人見た。FC2ブログは「近いうちに終了」などということはないだろうか。



 自分はこの手のことに疎いので、ビジネスとしてブログがどのように成り立っているのかまったく分からないし、だから終了する理由もよく分からない。終了した時に、ほかのブログに簡単に乗り換えることができるのかもよく分からないし、そのやり方も分からない。移行する場合、旧ブログをそのまま継続できるのか、それとも初めからスタートするのかも分からない。分からないことだらけだ。そもそもブログという仕組みをよく理解しないまま、見よう見まねで何となく始めたからだ。それがいつの間にか9年近く経ってしまった。


 だから今使っているFC2ブログがこの先もずっと続いてほしいと思っているのだが、どうなるかは分からない。永遠に続くものなどないのだという当たり前の真理を理解していても、面倒なことはしたくない。年と共に何かを「変える」という行為には若いころの何倍ものエネルギーが必要だからだ。



 ブログをやる(「やる」よりも「書く」というべきか)人の多くは何のためにやっているのだろう。自己主張のためか、誰かと交流したいからか、自己PRのためか、備忘録や日記としてか、ボケ防止か、趣味のひとつか、手軽に作家気分を味わえるからか、おそらく目的は人によってそれぞれなのだろう。


 じゃあ自分はどうなのかと考えてもすぐに答えが出てこない。昔風の写真のアルバムや、遺言のつもりで書いているのだろうか、などと最近思うことがある。まあそれほど深く考えながら書いているわけでもないのだが。











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もう2月だ。 



 明後日はもう2月だ。2月は「如月(じょげつ・にょげつ)」という。「きさらぎ」と読むことが多いが、旧暦2月を指す言葉だ。旧暦2月はまだ寒さが厳しく、重ね着をするという意味の「衣更着」「着更着」や、天気がよくなり陽気がさらに増すという意味の「気更来」、また「春に向かって草木が生え始める季節」という意味の「生更木」が由来だなどと様々な説がある。



 1年のうちで2月だけが30日に満たない「みそっかす」のような月だ。自分がまだ会社勤めをしていた頃、「2月は日数が少ないのに同じ月給をもらえて、得したような気分になる」という同僚がいたが、そのときは面白いことを言うやつだと思っていた。




 「如月」と聞くと西行の有名な歌を決まって思い出す。



「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」


 これは「願うことには、春の満開の桜の下で死にたいものだ。それも(釈迦が入滅したとされている)陰暦の2月15日の満月の頃に」という意味なのだが、西行は実際に2月16日に亡くなったと伝えられている。この「如月」は旧暦だから今の2月とは違い、実際は3月下旬のちょうど桜の満開の頃なのである。

 西行は享年73歳だったが、この歌はその約10年前に詠まれたものだと言われている。63歳というのは当時の人にしては長寿だ。西行は「もう思い残すことはない」という気持ちでこの歌を詠んだのだろう。この西行のエピソードは「ただひたすらに強く専一に願えばかなえられる」ということを伝えているのだろうか。



 とにかく2月である。



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開戦1年を目前にして 




 ウクライナへの戦車供与の次は戦闘機供与か?

 その次は部隊の派遣か?

 そして全面衝突になり、さらにエスカレートしていくのか?


 ロシアの核使用の可能性は高まったのか?



 何も分からないこちらにあるのは

 疑問符ばかりだ。




 20230128_130658ミツマタ

 庭のミツマタのつぼみが膨らんでいる。





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誰もが去ったあとに 



 そこに言葉はなく

 かつて住んだ場所もすでにない


 だれかは時間を巻き戻す夢ばかり語り

 壁にかかった風景画を見ている


 季節のおわりになにをする

 ただ眠るのか

 それとも手紙でも書くのか



 幻灯機

 万華鏡

 からくり時計

 水琴窟

 化石標本


 その店には珍しいものばかりあった



 去っていく人

 語らない人

 忘れたい人

 立ち尽くす人



 やってくる人はいない











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