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川と橋のこと 

 今朝ジミー・クリフの「Many rivers to cross」という歌を聴いていた。「行く手には川がいくつもあるが、どの川を渡ったらいいのか?」といった内容の、人生の壁に直面した男の苦悩を歌ったものだ。リンダ・ロンシュタットもカバーしていたが名曲である。

 浅川マキは「赤い橋」で「不思議な橋がこの町にある。渡った人は帰らない」と歌った。「情念」や「さだめ」「宿命」といった言葉がぴったりくるようなやけに暗い歌だ。作詞は精神科医でもある北山修だ。

 「ルビコン川を渡る」という言い方がよくされる。これは古代ローマ時代、ユリウス・カエサルが大軍を引き連れて、兵を入れることを禁じられていたルビコン川を渡ってローマに向かった故事に基づくもので、「後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行動を起こす」時に使われる言葉だ。この時のカエサルの言葉「賽は投げられた」と共によく知られている。ルビコン川は現在のイタリアにあったと思われるが、どの川を指すのかは諸説あって確定していないらしい。

 戦国時代の川を舞台にした合戦と言えば「手取川の戦い」や「姉川の戦い」が思い浮かぶ。手取川の戦いは七尾城の救援に向かった織田軍の柴田勝家が途上の手取川で上杉謙信軍に撃破された戦で、謙信の勇名をさらに高めた。姉川の合戦では徳川家康の合力を得た織田信長が浅井・朝倉連合軍を破り、その後の天下統一戦の弾みをつけた。渡河中の軍は無防備で動きも鈍い。敵に攻撃されるともろいから、出来るだけ素早く川を渡るというのが戦の常識だ。アフリカでも渡河中の野牛やガゼルの群れはワニの標的になって襲われる。

 もう随分前に仕事で新幹線を使って何度も大阪に行ったことがあった。東京を発って静岡県に入るとほどなく列車は富士川、安倍川、大井川、天竜川といった日本の中では大きな川を順番に渡る。新幹線ではあっという間のことだが、昔の人たちがこれらの川を渡るのは随分大変だったのだろうなといつも思っていた。

 今住んでいる所沢には川と呼べるような川がない。せいぜい川幅2、3mの小川のような川がいくつか流れているだけだ。だから田んぼは見たことがないし、稲作は行われない。農業はすべて畑である。専門的なことは分からないが、おそらくそういう地形なのだろう。

 伊豆の田舎の町には河津川という川があって、いつの頃からかその両岸に沿って河津桜が植えられ、2月下旬頃の開花期には寒い中を多くの観光客が花見にやってくる。今頃の季節は解禁された鮎を狙って、友釣りの長い竿を振るう釣り人の姿が川の中に大勢見られる。もう何年も帰っていないので、いまどうなっているかは分からない。ノーマン・マクリーンの小説「マクリーンの川」原作の映画「A river runs through it」のタイトルは「川は今でも変わらず流れている」という意味なのだろう。たしかに人間が死んでも生まれても、川は変わらずに流れている。それだけは間違いない。

P1060463 マクリーンの川



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自分のことしか見えない人たち。 

 アメリカが反イスラエルへの偏向を理由に、国連人権理事会からの脱退を表明した。温暖化対策の国際ルール「パリ協定」脱退、イラン核合意離脱、国連教育文化機関(ユネスコ)脱退に続くもので、国際協調に背を向ける姿勢を一層鮮明にした。アメリカは増々国際的に孤立を深める方向に進んでいる。国連人権理事会は2006年に発足し、世界の人権侵害に対応するほか、差別撤廃などの条約の順守状況や全加盟国の人権状況を調査する。加盟191か国・理事国は47か国で任期は3年。中国(現在理事国でもある)・キューバ・ベネズエラなど人権侵害が指摘されている国が加盟していることも論議の的になっていることも事実だ。しかしこのように自分の思い通りにならないと国際的な枠組みから次々に離脱するトランプのやり方は、まるで子供のけんかのようである。トランプ大統領が代表しているのは自己の支持者だけであって、アメリカという国全体を代表しているようにはどうにも思えない。

 2年前の熊本地震発生の直後、「動物園のライオンが逃げ出して街を歩いている」といった写真付きの悪質なフェイクニュース(偽情報)がSNS上に投稿されて大きな問題になった。今回の大阪地震でも同様なフェイクニュースや在日コリアンなど特定の民族を標的に、差別や偏見を煽る投稿がツイッターなどのSNS上に飛び交っていると報道されている。予想された通りだ。個人的にはSNSを使わないので実際にこれらの投稿を目にしたことはないが、こんなことをして何の意味や利益があるのかといつも思う。このような行為が楽しいのだろうか。ストレスの発散をしているのか。それとももっと陰湿な何かの理由があるのか。屈折した思想や信念が根底にあるのか。あるいはどこかから利益供与を受けているのか。いずれにしても汚い言葉だが、このような投稿者は「人間のくず」と呼ぶ以外にない。ヘイトスピーチなどと同様に、法整備をして厳罰化すべきである。

この二つのニュースはどこかでつながっている、と何となく思った。あるいは似た性質のものだと。





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人口のこと。 

 「西暦3000年に日本の人口は2000人になる」という記事の見出しを見て目が点になる。

 2015年の国勢調査で日本の総人口は約1億2709万5000人だった。5年前の調査に比べて約96万3000人減少した。1920年の第1回調査から100年経って初めて減少に転じたのである。またその翌年の年間出生数も初めて100万人の大台を割り込み、98万1000人になった。

 国立社会保障・人口問題研究所の最新推計(2017年4月公表)によると、
2053年には日本の人口は9924万人と1億人を割り、
100年後には5056万人
200年後には1380万人
300年後には450万人

そして1000年後には冒頭の2000人になるということなのだ。まるでSF小説のようだが、ここまで人口が激減したらその前にそもそも日本という国家が成り立たなくなるだろう。

 現在の日本の最大の問題点は言うまでもなく少子高齢化だ。そして出生数の減少や高齢者の激増と共に、勤労世代の激減も社会に暗い影を投げかけている。たとえば警察官・消防士・自衛隊員・医師・看護師といった人たちがいなくなったらどうだろう。治安・防災・医療といった機能が低下し、大きな社会問題化するのは間違いないし、大袈裟でなく無政府状態も発生しかねない。

 もっと直近の心配はもう随分前から言われている「2025年問題」だ。これは人口の構成の多い団塊世代が75歳以上になり、その結果社会保障費が急増し、医療機関や介護施設が大幅に不足することが懸念されている問題だ。その問題に直面するまでもう10年もない。東京オリンピックだなどと浮かれている場合ではないような気がするのだが、人口減少に関する議論もそれほど活発だとは思えないし、その危機感も、国民も政治家もあまり抱いていないように見える。心配しても何もできるわけではないから、問題は次世代に先送りしようと思っているようにも見える。そういう自分もその程度の考えしか持ってはいないのだが。

 世界的に見ても現在日本の人口は十分多い。一桁二桁少ない国はいくらでもある。例えば人口が400万人から500万人の北欧諸国のように、少ない人口でも社会保障が充実した豊かな国もある。日本が今後人口を増やすことは恐らく不可能だ。だとしたら少ない人口でもコンパクトで効率的な国(政治も経済も文化も外交も)へ、いかに上手く転換させていくべきかを考えるしかない。残念ながらその議論にはもう参加できそうもないが。

 それにしても日本列島に人口が2000人しかいない状態を想像する。1年の間に1人か2人の人間にしか出会えないというのはどんな気分だろうか。他人の姿を見つけたら駆け寄って抱きしめたくなるだろうか。それは雑音の少ない静かな世界だろうか。


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国会は百鬼夜行か伏魔殿か。 

 晴れたのは昨日一日だけで、今日は朝から雨が降っている。新聞の一面はワールドカップの初戦で、日本がコロンビアを破る大金星を挙げたというニュースだった。しかし明るいニュースはどうやらこれだけで、あとは例によって芳しくないものばかりだ。

 「総理のご意向」文書が明るみに出てから1年余り、ようやく加計理事長が出てきて昨日会見した。しかし会見の発表はそのわずか2時間前、しかもメディアの参加は地元記者に限定で時間もわずか30分あまりと、どこまでも不誠実な対応に驚く。これでは会見をしたというアリバイ作りのためにしただけとしか思えず、当然ながら中身もまったくない会見に終始した。多くの国民が抱いている疑惑に対して答えようなどという姿勢は一切見えない。記者の質問にも十分に答えず、逃げるように会見を終えた。会見の場での本人の表情を見ていたが、「お友達」と呼ばれているだけにこの人は安倍首相にそっくりだ。まさに「厚顔無恥」という言葉しか出てこない。「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものである。しかもこの会見のタイミングはどうだろう。大阪で大きな地震が起こった翌日で、国会の会期末やワールドカップの日本チームの初戦にも合わせたかのようだ。大きなニュースに隠れて目立たないようにこの日を選んだのだとしたら余りにも姑息なやり方であきれ果てる。

 今朝の新聞に面白い記事があった。安倍首相の国会での答弁を「信号無視話法」と題して分析しているのだ。質問にきちんと答えたら「青」、内容をくりかえしたら「黄」、質問と無関係に答えたら「赤」として調べた結果、青が4%、黄が41%、赤が34%と出た。つまり7割以上が質問と関係のない、意味の無いやり取りに終始していたのだ。まさに信号無視と言うべきでまったく呆れてしまう。これが安倍首相の正体である。また働き方改革関連法案での加藤厚労相の答弁を「ご飯論法」と指摘した記事も面白い。「朝ご飯を食べたか?」という質問に対して、パンは食べたけど米のご飯は食べていないので「食べていない」と答えるのが「ご飯論法」だ。このやり方で都合の悪い質問はすべてはぐらかし、問題の無い質問だけに答える。もっともこの論法は加藤厚労相に限らず、安倍首相や官僚も散々多用しているので見飽きてしまったが。

 本来こんなことを面白がっている場合ではないが、このような酷い状態では国会の権威も品位もあったものではない。そしてこのような不適切な答弁や発言に議長が厳しく注意する場面もほとんど見たことが無い。国会はとうの昔に言論の府でも国権の最高機関でもなくなっている。


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梅雨の晴れ間が・・・・・ 

 蒸し暑いけれど久しぶりに青空が見えるとやはり気分がいいが、地震の被害が大きかった大阪の人たちはそれどころではないだろう。屋根が破損してブルーシートを被せている住宅がかなりあったが、梅雨の時期に当たって本当に気の毒だ。今週は予報では雨の日が多い。

 今日午前、問題発覚後初めて加計学園の加計孝太郎理事長が公の場に現れて会見を行ったが、予想通りまったく中身の無い無意味な会見だった。安倍首相との面会については「記憶にないし記録もなかった」と、柳瀬元首相秘書官と同じようなことを言っている。愛媛県が公表した記録や柳瀬氏の名刺などから、柳瀬氏の言っていることがほとんど嘘だということが明らかになっているし、国民の多くも信用していない。加計理事長もこのあたりで何か言っておかないとまずいと思ったのだろうが、嘘はいつかばれるものだ。嘘つきが罰も受けずにのうのうと暮らしている社会は、どう見てもまっとうな社会ではない。

 18日の参院決算委員会で安倍首相が答弁に立ち、公文書改竄について陳謝したが、質問通告がないことを理由に答弁を避ける場面があった、という記事を読んで本当におかしな話だと思う。事前の質問通告というのは国会の規定なのかそれとも単なる慣習なのか知らないが、事前通告がないことを理由に答弁拒否することは正当なことなのだろうか。このあたりのことはよく分からないが、違和感は感じる。野党からの質問に対して安倍首相や閣僚たちが、官僚が用意したペーパーを棒読みして答えている光景は日常茶飯事だ。あれを見ていて「自分の言葉や考えで答えられないのか」と野次でも飛ばしたくなる。大体首相や大臣が官僚の用意したペーパーがなければ答弁できないというのも情けない。海外でもこんなことがまかり通っているのだろうか。たしかに答弁に細かい数字や資料が必要な場合もあるだろう。正確に答えるために事前に聞きたい内容を知りたいというのは分からないわけではない。しかし反面イエスかノーの一言で答えられる質問も非常に多いのだ。しかし安倍首相はこのように質問に対してもまったく関係ないことを答えたり、論理のすり替えをしたり、延々とどうでもいい話をしてごまかしたりする。このような首相らしからぬ傲岸さや厚顔無恥な態度を見ていると、事前通告などそのすり替えやごまかしの準備のためにただ使われるだけではないかと思ってしまう。事前通告など無しにいきなり質問したほうが、本音やぼろが出て数倍国会論戦が面白くなり、結果的にそれが国民のためになるとも思うのだが。

 カジノを含む統合型リゾート(IR)法案や働き方改革関連法案や参院の定数を「6増」する公職選挙法改正案を今国会で成立させるために、政府・与党が国会の会期を延長させようとしている。野党はこれに反対しているが、これに対して「野党が18日間も審議拒否してきたからではないか」と野党を批判する声がある。個人的には野党の審議拒否に賛成するわけではないが、元はと言えば森友・加計疑惑に関して安倍政権が一度として誠実な対応をしてこなかった事が一番の原因ではないのか。そしてその姿勢は未だに変わらない。「もりかけ問題」をこのままうやむやにしては絶対にならない。安倍政権は今後北朝鮮問題や日米貿易摩擦問題の解決を前面に打ち出すことで、この「もりかけ問題」を曖昧なまま終結させようとするかもしれないが、国民はごまかされてはならないのだ。こういう場合に、例えば大阪の地震被害やワールドカップに国民の関心を集中させて自身への非難をかわそうとするのもいつもの常套手段だからだ。

 そう言えば明後日はもう夏至なのだった。今年ももう半分が終ろうとしている。


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今週は晴れる日が・・・・・・。 

 大阪で強い地震が起きて大きな被害が発生している。小学生や高齢者が倒れてきたブロック塀の下敷きになって死亡した。ブロック塀倒壊の危険性は過去にも地震の度に言われてきた。地震の多い日本には相応しくないと、少し考えれば誰にでもわかる。日本では道路の狭い場所や隣家が密集している地域でも、石塀やブロック塀で敷地を囲っている家が非常に多い。地価が高い都市部では、土地への執着や所有意識が高いということなのだろうか。それとも空き巣や覗きなどの犯罪を警戒しているのだろうか。自宅の周辺でもブロック塀に囲まれた家は結構多いが、比較的古い住宅にその傾向が強いように見える。しかし今後都市部のような住宅密集地では、地震対策として行政がブロック塀などの規制をもっと強くすべきではないのだろうか。軽いアルミフェンスや生垣に変えればこのような事故は防げる。しかし建築基準法でも建ぺい率や容積率や用途地域といった点は細かく規制されているが、景観や統一性や安全性といった観点はあまり考慮されていないように感じる。だから街並みの印象もバラバラで統一感がない。たとえばブロック塀を見て美しいと思う人などほとんどいないだろう。国や自治体がこのブロック塀の安全性問題に、もっと本気で迅速に取り組んでくれればいいが。(小学生の女児が下敷きになって死亡した小学校のブロック塀は、その後の調査で建築基準法違反であることが明らかになって教育委員会が謝罪会見をした。)

 ルマン24時間耐久レースでトヨタが悲願の初優勝を果たした。しかもワンツーフィニッシュでどちらの車にも日本人ドライバーが乗っているという快挙だ。これでまたトヨタの企業イメージがアップするだろうか。市販車の売り上げにどのくらい貢献するだろうか。優勝した車はハイブリッド車のようだ。しかし現在の世界の自動車市場の趨勢を考えると、今後ルマンもF1も電気自動車以外は出走できないという時代が遠からずやってきそうな気がする。爆音の響かないレース場の静寂というのはどのような雰囲気だろうか。想像もできない。ルマンで思い浮かべるのはやはりスティーブ・マックイーンの主演した映画「栄光のルマン」だ。映画の中のレースではポルシェとフェラーリが死闘を展開したが、その後フェラーリはルマンから撤退した。今回のレースの結果を見ても上位にはポルシェやメルセデスの名前はなく、まったく聞いた事の無いチームばかりが入っている。レースの世界もいつの間にか随分様変わりしているのだ。

 高知県の室戸市で、廃校になった小学校を水族館に作り直して町おこしをしているというニュースを見た。毎年500校もの公立学校の廃校が発生していると聞いて、少子化の影響はそこまで激しいのかと驚いてしまった。そしてそれに反して高齢者施設は激増していく。いま日本中の自治体が少子高齢化対策に必死だ。過疎化と高齢化がこのまま進んでいけば、地方の自治体では行政が立ち行かなくなる。税収が減れば道路や公共施設やインフラの整備や維持管理も難しい。その結果住みにくくなれば、若い住人はさらに都市部へと流出していくという悪循環だ。そして東京などの大都市部への集中が加速し、都市部と地方の格差はさらに広がっていく。最近テレビではのんきに「地方バス路線の旅」などという番組ばかり放送しているが、鉄道路線やバス路線の廃線が続けば住民の生活はさらに不便になり、産業も停滞していく。何とかならないのかと思うけれど、何ともならないということなのか。

 いよいよワールドカップが開幕して、テレビや新聞ではサッカーのニュースばかり流されている。熱狂的なファンは興奮しているが、例によってこちらは冷めている。サッカーやラグビーや野球やテニスの試合に熱中できる人たちが本当に羨ましい。別に食わず嫌いというわけではないのだが、見ていてもまったく楽しくない。野球だけは一度誘われて球場に足を運んだこともあるが、やはり面白くないのは変わらなかった。これは生まれつきというものなのかと考えるが、その原因がわかったとしても何の意味もない。暗いニュースや嫌なニュースばかりだから、スポーツの試合を見て発散できたらどんなに気持ちがいいだろうと思う。人生はなかなかに難しい。


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アザミの話。 

 今朝早く起きて近所を散歩していたらアザミが咲いていた。アザミは園芸種なのか雑草なのか知らない。野原でも咲いているし、庭に植えられたものを見ることもある。アザミは葉や茎に鋭い棘針があって触るととても痛い。だから花はきれいでも嫌う人がいる。アザミはスコットランドの国(地方)の国花になっているが、これは昔イングランドと戦争をしているときに、棘によって外敵から国土を守ったからだと言われている。それほどこの棘は痛いのである。

 まったく関係はないが、昔中島みゆきが「アザミ嬢のララバイ」という歌を歌っていて、その中に「いつも夜咲くアザミ」という歌詞があった。これはアザミの花が夜咲くということではなくて、この歌の中の主人公の女性が、夜の仕事(酒場のママのような)をしていたということなのだろう、おそらく。

P1060451 アザミ 正


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ムクゲの話。 

 人によって花や木の好みが違う。タチアオイや夏椿もいいが、夏の花で好きなのは昔から百日紅と夾竹桃と木槿だ。なぜそれほど好きなのかよく考えるのだけれど、はっきりした理由は分からない。子供の頃の家の庭や近所の生垣や学校へいく通学路に咲いていたからではないかと思うのだが。花を見ていると多分田舎の夏の暑い風景が甦ってきて懐かしいのだろう。

 今の家に引っ越してきた時、白い一重のムクゲ(木槿)の木が植えられていた。割と大きな木だったので夏になると白い花が次から次へと咲いた。その花を何年か見てるうちに、花があっさりしすぎて少し物足りなくなってきた。それで園芸店へ行って、濃いピンク色の八重のものと紫色の涼し気な花の2種類の苗を買ってきて庭に植えた。それが先週くらいから咲きだした。

 ムクゲは古い時代に中国から渡来したらしいが、韓国では国花になっている。韓国の人たちのムクゲに対する思い入れは、日本人の桜に対するそれと似ているようでなかなか強いものがあるらしい。ムクゲはハイビスカスなどと同じ仲間だが、ハイビスカスが熱帯の植物で寒さに弱いのに比べてムクゲは寒さに強い。花はきれいだが「一日花」といって朝咲いて夕方にはしぼんですぐ花が落ちてしまうのが「玉に瑕」だ。そんなところから「槿花一朝の夢」などという言葉がある。これは人生の果敢なさを表したものだが、この時の「槿」はムクゲではなく朝顔のことだとする説もある。

 ムクゲはこれから暑さが増すにつれて、さらに元気よく咲くようになる。

P1060454 ムクゲ1
P1060445 ムクゲ2
P1060457 ムクゲ3


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また日本列島に台風が接近している。 

 記事を見てまたかと思う。

 幼い少女の写真と共に「無防備力も、女子力なんだと思います」というコピーが書かれた西日本鉄道(福岡市)の中吊り広告に対して批判の声があがり、西鉄はこれを撤去した。

 西鉄広報課は「『幼い頃の自分のように、肩に力の入っていない、無邪気で飾らない姿が本当の自分らしさかもしれない』とのコンセプトだった。それが伝わらず、批判の声もあり、撤去を決めた」と説明しているが、このコメントには「撤去は不本意だ」というニュアンスがにじんでいる。

 新潟県で小学生の女児が殺害され線路に遺棄された。千葉では昨年起きたベトナム人少女殺害事件の裁判が進行中だ。つい数日前には静岡県で女性看護師が連れ去られ、その後女性の埋められた遺体が発見されて二人の犯人が逮捕された。

 西鉄ではこの広告を作成する、あるいは掲示する時点で、これらの事件は頭に浮かばなかったのだろうか。適切でないという判断はしなかったのだろうか。この広告を企画制作した人間は作る過程で疑問を感じなかったのだろうか。少なくとも写真が少女ではなく、成人の女性だったらイメージは大分違っていたろうと思う。しかしこれは出したタイミングが悪かったというレベルの話ではないだろう。

 この広告を素直に眺めれば「女は無防備であることに価値がある」と読める。そして実際にそう思う人間(ほとんどは男だろうが)もいるだろう。しかしそう感じるようなポスターを公共の場に掲示することが、相応しいかどうかと考える感性は必要ではないのか。女児や女性が被害にあう事件が頻発している。もちろんそれは社会的な大問題だ。しかしそのような事件に「無感覚」で「鈍感」とも思える今回のような出来事が報道されると、何かがおかしいと感じる。そしてそんなおかしいと思う出来事がこの頃とても多い。それはもう自分の「過剰反応」といったものではないような気がするのだ。だからその原因は何なのだろうと朝から深く考えてしまう。


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「もり」もいいけど「かけ」も美味い。 

 「国際情勢が激変する中で、日本の政治家、政党もいつまで森友問題なのか。財務省の文書改竄は確かに重要だが、国家としての日本の在り方を問う憲法改正や安全保障問題を政局絡みで矮小化することは国民への背信である」

 これは限りなく右寄りなニュースキャスターとして著名な櫻井よしこ氏の、産経新聞に掲載されたコラムの内容だ。つまり「いつまでモリカケ問題やってんだ」と言っているわけだ。次に書くのは自民党内で石破元幹事長と並んで安倍批判の急先鋒である村上誠一郎元行革担当相の言葉だ。

「『たかがモリカケ』論をどう思うかって?話にならないね。今起きていることは民主主義の危機なんだ」

「『政治家や役人は国民に嘘をついてはならない』という民主国家の大原則をも壊しかねないのに、野党やメディアに責任転嫁。本末転倒だ」

「『もっと大切な議論を』というが、その議論を、信を失いつつある現政権に任せられるか。『たかがモリカケ』でこの有り様なのに、安全保障や外交でまともな議論を期待できるか」

 この二人の言い分を比較してどちらに説得力があるだろうか。個人的には村上氏に100%軍配を上げるが、もちろん逆の意見の人もいるだろう。ここで重要なのははたして『たかがモリカケ』なのかという問題だ。

 発端は森友学園への国有地売却に関して、国有地が不当に安い価格で森友学園に払い下げられたのではないかという疑惑だった。その過程で安倍首相夫人の昭恵氏がこの学校の名誉校長であることが明らかになった。また安倍首相は「(国有地売却に)私や妻が関与していたら、首相も国会議員も辞める」と国会で答弁した。そして昭恵氏が名誉校長であるという事実と価格交渉の不明朗さを隠すために、さらに安倍首相の国会答弁を忖度した財務省が、文書の改竄や隠蔽をした疑いが明らかになってきた。また加計問題では、加計学園が愛媛県今治市に国家戦略特区を使って獣医学部を開設したが、その過程で安倍首相や官邸が友人である加計理事長に対して、不公平な優遇をした疑惑が持ち上がっている。つまり安倍首相と昭恵氏の二人が夫婦で公私混同したことによって、行政が捻じ曲げられた疑いが出てきたのである。

 「モリカケ問題」が引き起こした深刻な問題は少なくとも二つある。一つは国会が完全に軽視されたことである。憲法41条には「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と明示されている。行政を監視する役割の国会で、参考人招致された財務省の幹部が堂々と嘘をついていたのである。そしてその嘘に振り回されて、1年間も国会において不毛な論戦が続けられたのである。これを民主主義や立憲政治の危機と呼ばずになんと言ったらいいのか。もう一つは行政文書の改竄や隠蔽をしたことによって、日本という国家の信用度が国際的に大きく低下したということだ。たとえば外交文書を改竄するような国と、まともな外交関係を結ぼうという国があるだろうか。果たして相手を信用するだろうか。

 そう考えれば冒頭の櫻井よしこ氏の言うように「モリカケ問題(野党や国民の安倍政権や財務省に対する批判)」が憲法改正や安全保障問題を矮小化しているのではなく、逆に「モリカケ問題」を矮小化させることで、逃げ切りをはかり幕引きをしようとしているのが安倍政権なのだということがよく分かる。村上氏の言うように、こんな状態で憲法改正や外交や北朝鮮問題や貿易摩擦問題や働き方改革や景気対策や消費増税問題や選挙制度改革などを議論しても、無意味とは言わないまでもまともなものができるとは思えない。だから焦って日朝首脳会談など考えないことだ(安倍首相は国民の関心を北朝鮮の核廃棄や拉致問題の方に向けたいのだろうが)。支持率が下がって信用度の低下した安倍政権など、金正恩に足元を見られるだけだ。今は国会で与党と野党が「モリカケ問題」を徹底的に議論し、疑惑を解明し、安倍政権は国民に対する説明責任を果たすべきである。そここそが民主主義の根幹なのだから。だから心ある国民は「いつまでモリカケだ」などと決して言ってはならない。




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鈍感と敏感ということ。 

 人気漫画「ONE PIECE」(読んだことがないのでどんな漫画かまったく分からないが、42の国と地域で累計4億3000万部も出版されてギネスの世界記録にも認定されたと聞けば、大きな影響力のある漫画なのだろうと感じる)の作者である漫画家の書いたコメントとイラストが物議を醸している。それらが残留日本兵の故横井庄一さんを揶揄したものとして批判されたのだ。雑誌の編集部は「配慮を欠いた表現」と謝罪したが、編集部のチェックの甘さも同様に批判されている。書いた本人の謝罪やコメントはないので、批判に対してどう感じているのかは分からない。最もこの漫画の読者のほとんどは、横井庄一さんの名前もこの事件も知らないのではないかという気がするが。

 1972年2月2日、太平洋戦争終結後27年間も(途中まで本人は終戦も知らなかった)グアム島のジャングルに隠れて生きていた横井庄一元軍曹が発見されて日本に帰国した(これもまた自分が上京した年の出来事だ)。流行語にもなったその時の「恥ずかしながら帰って参りました」という横井さんの言葉は今でも鮮明に覚えている(その当時生きて敵の捕虜になることは軍人として恥だから自決せよと命令されていたのだ)。件の漫画家が今回なぜこの横井さんを取り上げたのかその意図は分からない(しかしイラストに描かれているのはなぜか横井さんではなく、横井さん同様1974年にフィリピンルバング島で発見された残留日本兵小野田寛郎元少尉のように見える)。

 今回のニュースを見て思う。最近このような誰かの書いた文章(雑誌やブログの記事もあればフェイスブックやツイッター上の発信もある)や発言が批判されてSNS上で「炎上」し、当人が謝罪するというケースが非常に多い。その発言や発信は意図的なものもあるだろう(注目されることを目的にして)が、そのほとんどは発した本人が「鈍感」なのか、「結果を予測する能力がない」か、「慎重さを欠いた」ということではないのだろうか。失言も、暴言も、差別発言も、セクハラ発言もみな同様ではないかと感じる。そしてその「鈍感さ」はおそらく本人自身が無感覚であるということだけでなく、相手の痛みをまったく理解できないということにも原因があるように思える。

 しかし一方ではこのような何かというとすぐに批判されて炎上し、謝罪に追い込まれる風潮を「息苦しい」「過剰反応だ」と批判する意見もある。今回も賛否が分かれているようだ。漫画家を批判する人は、些細なことで「責任者を出せ」と迫るクレーマーと同じではないか、という言い分も分からないではない。昔なら(SNSやインターネットが普及する前)こんなことはなかっただろう。誰かの発言や書いたものを同時に目にする人の数は今と比べたら圧倒的に少なかったからだ。今は一つの情報が瞬時に世界中に拡散する、考えようによっては恐ろしい時代だ。そして一度拡散されたものはもう簡単に取り消すことが出来ない。今回の騒動について、個人的に目くじら立てて興奮しているわけでも、頭から漫画家を批判しているわけでもないし、悪意があるとも思っていない。それでもやはりこのように茶化したりジョークの対象にしてもいい性質のものと、そうでないものがあるような気がするのだ。そしてその区別がつかないのだとしたら、どこかに問題があるのではないかと思ってしまうのである。そしてそれがどうにも歯にものが挟まったようで不快なのだ。

 誰かの主張や発言や考え方が許容されるかされないかということに、おそらく明確な基準はない。たとえば右と左の人ではその価値観が180度違う。だからできるだけ客観的になるためには、一人一人が自分自身の中に正確な物差しを持つしかない。そしてその物差しを磨く役に立つのは知識・常識・感性・判断力・情報・歴史認識・感受性・直観力・国際感覚といったものの集積ではないのか。そしてそれらの集積が広義の意味での善悪の判断の正確さを、完全ではないにしても担保してくれる。

 この漫画の作者の尾田栄一郎という人は1975年生まれの43歳だ。だから横井さんや小野田さんが帰国したときにはまだ生まれてもいない。自分の生まれる前に起きたことや当時の時代の雰囲気などは当然詳しくは分かるまい。けれども横井さんや小野田さんが直面した状況は戦争が引き起こした悲劇(このような犠牲者は二人のほかにも数えきれないくらいいたわけだが)であって、笑いの材料にするような類のものではない。個人的にはこの作者や書いた漫画にはまったく興味はないが、これだけ多くの人に支持され読まれているのだとしたら(事実『仲間や正義、弱者に対する優しさをテーマにした作品を描いてきた作者なのに』というコメントを書いている読者もいた)、少なくとも読者を裏切らないためにもその言動には一般の人に増して大きな責任を持つ義務があるし(読者は書かれた作品に夢を見て、自分を投影し、勇気や力をもらうのだろうから)、一層慎重になるべきだ。そうでないと最近国会でよく見る恥知らずな失言政治家や嘘つき官僚と同類になってしまう。


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父の日のこと。 

 娘から父の日のプレゼントに雪駄をもらった。涼しそうで今の季節にはぴったりだ。従来から靴も靴下もあまり好きではない。だから夏は仕事以外の時はビーチサンダルを履いていることが多かった。子供時代の夏はほとんど海の近くにいたので、ビーチサンダル以外履いたことがなかったのだ。おそらくその習慣がずっと続いているのだろう。しかし雪駄というのはそれに合わせて着るものが難しい。やはり着物が一番合うのだろうが、一枚も持っていない。甚平や作務衣というのもあまり好きではない。だからビーチサンダル同様にTシャツに短パンという格好に多分落ち着くだろう。多少アンバランスであっても要は涼しければいいのである。

P1060444 雪駄

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松山には行ったことがない。 

 今日の夕刊のコラム「素粒子」は米朝首脳会談について随分辛辣に書いてある。余程頭にきたと見える。その抜粋。

「おいぼれヤクザ」と「ちびのロケットマン」が政治ショーを披露。

ショーだもの、中身は薄いよ。

亡者戯(もうじゃのたわむれ)


 こんな調子だ。しかし今回の会談についての評価は日本、韓国、アメリカ共に概ね低調で批判的だ。はしゃいで自画自賛しているのは当人二人だけという印象だ。中国とロシアだけは喜んでいるのだろうが。もう気がついている人の方が圧倒的に多いような気はするが、このアメリカの指導者には大統領としての資質が決定的に欠けていると思わざるを得ない。外交を不動産取引や株の売買と同じように考えているのではなかろうか。

 話は変わるがもうずいぶん前(多分10年以上)から、読もう読もうと思いながらそのままになっていた司馬遼太郎の「坂の上の雲」を今日突然読み始めた。別にきっかけがあったわけではなく何となく手に取ったのだ。驚くような大事件でもないが、まあしばらくは何を読もうか迷うこともなくなった。

P1060443 坂の上の雲


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今日は梅雨の合間の晴れのようだが。 

 「大山鳴動して鼠一匹」とは正にこのようなことを言うのだろう。「鳴り物入りで」米朝首脳会談が行われたが、ほとんど具体的な成果があったとは言い難い。北朝鮮問題は会談前よりもさらに難しい状況に陥ったのではないか。公にされない裏取引があったというなら別だが、両指導者ともに信頼できる人間とも思えないから多くは期待はできないし、日本が最も注視する拉致問題についても両者共さして関心があるようにも思えない。安倍首相は今後もトランプ追従路線を行くのだろうか。難しい立場になった安倍首相に同情などまったくしないが、日本にとって視界がさらに悪くなったのも間違いない。

 以前にもここに書いたけれど、英国で原発の建設と発電事業を行う計画を進める日立製作所と英国との交渉が難航している。この事業には日本のメガバンク3行が巨額の融資をし、日本政府がその債務保証をする内容になっている。日本政府は国民負担が発生しても原発輸出の実績を作りたい考えのようだ。恐らく日立製作所に対しても、日本政府から何らかののプレッシャーがあるのではなかろうか。しかし不思議でしょうがない。これだけリスクが高く、今後それほどの収益も見込めない原発事業に、なぜこれほどまでに日本政府はのめりこもうとしているのか。一体誰が一番その恩恵を受けるのだろうか。

 先日カンヌ映画祭で最高賞を受賞した「万引き家族」だが、出演している樹木希林さんの元気な姿に驚く。5年前に「全身ガン宣言」をして世間を驚かせたのは記憶に新しい。その後も映画に出演して大活躍している。そんな彼女に対して奇跡だという声もある。高額なガン治療をしているという報道もあったが、彼女のポジティブな生き方や考え方がガン治療に有効なのではないかと指摘する医療者もいる。たしかにただ大声で笑っているだけで免疫力が向上するという事実はよく言われることだ。「あっけらかんとした明るさ」には大きな力があるということなのかも知れない。自分にとっては残念ながら最も苦手とするところであるが。


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梅雨入りしたのは先週だったかな。 

 午前中はとても蒸し暑かったのに、午後に驟雨があってその後は随分涼しくなってきた。傘を持たなかったのか、店の前を通る学校帰りの中学生や小学生たちはみなずぶ濡れになっている。不思議だがみんな楽しそうに笑っている。雨に濡れていやなのは大人だけなのか。自宅に着いたらどこかでカッコウの鳴く声がする。この辺では珍しいことだ。玄関横のアジサイが咲いている。「墨田の花火」という結構よく知られた品種だ。花のかたちが本当に花火が開いたときのように見えるのが面白い。梅雨入りした実感が少し沸いてきた。


P1060437 墨田の花火



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是枝監督のこと。 

 インターネットやSNS上には膨大な情報が溢れている。そのすべてに目を通すことなど誰にもできない。そしてその情報の多くは取るに足りないもので、中には有害なものや偽情報も多い。そして本当に見逃してはならない情報というのは恐らく数えるくらいしかないのである。先日「万引き家族」でカンヌ映画祭最高賞のパルムドールを受賞した、是枝裕和監督のブログ記事をたまたま読んでそう思った。

 受賞直後に国会で野党議員が「是枝監督に祝意を表しては?総理に進言を」と林文科相に問いただしたようだが、この場面を自分は見ていない。その後「林文科相が(是枝監督を)文科省に招いて祝福したいという意向を示した」とNHKニュースが伝えたらしいが、自分はこのテレビニュースも見逃した。

 是枝監督は自身のブログで「受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいという問い合わせがあったが、すべて断っている」とした上で、次のように書いている。

「『大きな物語』に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その『大きな物語』(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な『小さな物語』を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだ」

「映画がかつて、『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですが、このような『平時』においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています。」

 つまり直接答えるのではなくこのブログに書かれた内容によって、林文科相の意向に対して祝意辞退を表明したのである。

 国益や国策と一体化したのは映画だけではない。戦中戦前の文壇や宗教界も教育界も同様である。軍部が主導する翼賛体制に対して異を唱えることは命がけのことだった。しかしそれを言い訳にしてはならない。その結果日本という国は大きな苦難と悲劇の中に放り込まれたのだから。そしてあろうことか今の日本はそのデジャヴとも言える危険な状況に進もうとしているように見える。戦前への回帰を夢見ているような指導者に引きずられて。

 是枝裕和監督の言う「大きな物語」とは党や政権や政治的イデオロギーのことだろうか。「小さな物語」とは是枝監督の作り出す映画作品のことだろう。「小さな物語」によって「大きな物語」を相対化するという意味は、「大きな物語」を絶対化させないということに他ならない。絶対化は独裁と等しい。是枝監督は映画監督だから、映画という武器を使って相対化させようということだろう。そして誰もが今いる場所において、様々な方法を使って相対化することは可能だ。

 是枝監督はまたブログ上で今回の受賞作品が文化庁の補助金を受けていることを明かしているのだが、この点についても「政府の祝意を辞退しておいて補助金などもらうな」というような的外れな批判をする人間がいる。どこにもいつの時代にもこのような愚か者はいる。この補助金の原資は我々国民の税金であって、国家権力から恵んでもらっているわけではない。それにしても今回のパルムドール受賞を喜ばない人たちが思ったより多くいることに驚く。

 おそらくその筆頭が安倍首相ではあるまいか。オリンピックの金メダリストや将棋の羽生名人や囲碁の井山七冠には国民栄誉賞を次々に授与して、盛んに自己の政治利用をするくせに、今回の受賞には知らん顔を決め込んでいる。これについて仏紙フィガロなどは「安倍首相から祝意が伝えられないのは、是枝監督が政治を批判してきたからだ」と報じている。お友達優遇の安倍首相の面目躍如といったところだが、海外メディアからも指摘されるようでは、一国の首相にも似合わぬ狭量さだけが目について何だか一国民としてはとても恥ずかしい。その他大勢の安倍応援団とも言える御用作家やタレントたちもご主人のために一生懸命吠えているが単に騒がしいだけだ。

 しかし優れた映画作品というのは、是枝監督のような揺るがない確固たる立ち位置と、権力に迎合しない強靭な思想からしか生まれ得ないということなのだろうか。個人的にはどうも今まで邦画をあまり見なかったのだけれど、自分ももう少し柔軟にならないといけないのかも知れない。





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田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ 

 村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を再読する。3、4年ほど前に読んだのだが、再読したことにとくに理由はない。ただ一回目に読んでよく分からなかった部分が腑に落ちたということはある。読まないとこの小説のタイトルはどういう意味なのかわからない。主人公の多崎つくるは高校生の時に、親密に付き合っていた男二人女二人の同級生がいた。そして五人はいつも一緒に行動した。多崎つくる以外の四人は「赤松、青海、白根、黒埜」といずれも名前に色がついていた。これがタイトルの理由だ。もう一つの「巡礼の年」というのはフランツ・リストの曲集の名前で(クラシック音楽はまったく聴かないのでわからない)、その中の「ル・マル・デュ・ペイ」という曲が小説中で重要な鍵になっている。そのフランス語の曲名の意味は「田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ」と説明される。一言でいってしまうと、この小説は「五人の人間関係の崩壊によって引き起こされた主人公多崎つくるの破綻と哀しみ、そしてそこからの再生」といったようなことになるのではあるまいか。そして村上作品によく出てくる「損なわれた人たち」はここでも登場する。もしこの五人がいずれも男だったら、あるいは女性だったら、ほとんど大したドラマも生まれなかっただろう。男三人女二人で五人という緊張感が必要だったのである。

 色のついた名前というのはそれほど珍しくはないのだろうか。自分の過去の知人を思い出したら「黒川、茶村、白井、青野」など何人かすぐに浮かんできた。主人公のつくるは、五人の中で自分の名前にだけ色がないことに密かに疎外感を感じてきたが(それは色のある四人は個性的で主人公だけが平凡だという状況設定なのか、あるいは主人公が集団からはじき出されるという設定上そうしたのかーーーコジンスキーの『異端の鳥』のように)、物語の終盤で、自分は色彩を欠いてなどいない(人間性や感受性が豊かである)ということを気づかされていく。

まずはじめにブルーがいる。つぎにホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。ブラウンがブルーに仕事を教え、こつを伝授し、ブラウンが年老いたとき、ブルーがあとを継いだのだ。物語はそのようにしてはじまる。


 これはポール・オースターの「幽霊たち」の冒頭の部分だが、なんとなく人を食ったような書き出しだ(欧米にも色のついた名前は結構あるのだ。というよりも色そのものだが)。しかしこうして見ると同じ色を使った名前でも、日本とアメリカとではその受け取るイメージは随分違う。「幽霊たち」の登場人物には生活臭がなく、生身の人間というよりも一種の記号性のようなものすら感じる。この作品は探偵小説あるいは推理小説といったものなのだろうが、そこにはリアリティも深刻さもない。コメディーと言ってもいいかもしれない。村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読みながらふとオースターのこの作品を思い出しただけであって、深い意味はないし、両者に何の関連性もない。大体常に深い意味のないことを書いたり考えたりしているのだが。


P1060434 多崎つくる
P1060433 幽霊たち



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奇妙なかたちの植物のこと。 

 先日近所の空き地で見つけた風変わりな植物だが、ネットで調べていてやっと正体が分かった。ヨーロッパ・北アフリカ・アジア原産のゴマノハグサ科モウズイカ属の植物で、「ビロードモウズイカ」と言うのである。別名「庭煙草」というらしい(確かにタバコの葉に似ている)が、要は雑草である。競合の少ない環境(裸地)で最もよく成長すると書いてあるから、他の雑草が少ない砂利の敷かれた空地は住み心地がいいのだろう。深刻な農業雑草とは考えられてはいないが、コロラド州・ハワイ・オーストラリアのビクトリア州などでは有害植物の指定をされているとも書かれている。2日ほど前に再度見に行ったら、花穂の部分が1m近くに伸びていて、黄色い花もたくさん咲いている。遠くから見るとまるで食べかけのトウモロコシのようにも見える。しかし自然界には様々な形態の植物が生息しているものである。

P1060424 ビロードモウズイカズ1
P1060426 モウズイカ2
P1060427 モウズイカ3


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事件 

 アメリカフロリダ州で、池の近くを犬を連れて散歩していた日本人女性が、体長4mのワニに襲われて死亡した。まるでパニック映画のようだが、平凡な日常の風景のなかにそんな恐ろしい危険が潜んでいることに驚く。アメリカにあるのは銃の恐怖だけではなかった。

 日本は安全かといえばまったくそんなことはない。走行中の東海道新幹線の車内で、乗客の男女3人が男に刃物で殺傷された。捕まった犯人は「誰でもよかった」と嘯いている。またしても無差別殺傷事件だ。2日前に「秋葉原の通り魔事件から10年」というニュースがあったばかりだったが。

 和歌山の資産家の変死事件が連日報道されている。77歳の資産家が「紀州のドンファン」と呼ばれていたことや、妻が22歳だったこと、体内から覚せい剤成分が検出されたこと、愛犬が事件の数日前に死んでいたこと、などがテレビのワイドショーや週刊誌の格好のネタになっているのだろう。死因は当初急性循環不全だったが、その後急性覚せい剤中毒と発表されている。もし殺人事件だとしたら今後増々事態は混沌としてくるだろう。

 この事件で多くの人が思い出すのは、同じ和歌山県で1998年7月に起きた、夏祭り会場で出されたカレーに毒物(ヒ素)が混入されて4人が死亡した「和歌山カレー事件」ではあるまいか。逮捕された林眞須美被告は近所の主婦だった。林被告は否認を続けたが、2009年最高裁で死刑が確定している。しかしこの事件で決定的な証拠は見つからなかったし、本人が自白しているわけでもない。本当に彼女が真犯人なのか疑問に思っている人は恐らく今もいるのではないか。果たして冤罪なのか、それともやはり林死刑囚の犯行なのか。

 予想もできない事件や事故の被害者として死ぬことは不条理であるに違いない。一方明白な証拠や自白がないまま死刑が確定してしまった被告の人権はどうするのだろうか。それもまた不条理だ。真実は神にしか分からない。もしそんな事件の裁判員裁判で裁判員になったとしたら、罰則があったとしても絶対に引き受けたくないと思う。人が人を裁くというのは軽いことではない。ある意味では地球と同じくらい重い(どうも他にいい表現の仕方を思いつかない)。





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またこの人の話題とその他の話。 

 トランプ大統領は「過去に不当な扱いを受けた可能性のある」約3000人について、恩赦を検討していることを明らかにした。この中にはボクシングのヘビー級王者だった故モハメド・アリ氏も含まれているそうだ。ここまではいい。2016年米大統領選へのロシア干渉疑惑をめぐって関与が疑われているトランプ大統領は、自分が罪に問われても「私は法を超越した存在ではないが、自分自身を恩赦する権限がある」と述べた。これはジョークなのか、それとも本心なのか。

 G7開幕直前、トランプ大統領は日本に続き、G7の同盟国である欧州連合(EU)とカナダを鉄鋼・アルミニウム製品の輸入制限の対象に加えることを表明した。これらの国々はこれに猛反発し、事前に行われた財務相・中央銀行総裁会議は大荒れになった。当のトランプ大統領はG7でこれらの国から批判されることを嫌ったのか、「米朝首脳会談を控えて気が散る」と、G7を欠席してペンス副大統領を代理出席させることを検討していた、などというとんでもないニュースも流れている。客観的に見ても大した成果が期待できそうもない米朝首脳会談などより、G7において深刻な貿易摩擦について協議するほうが数倍重要だ。さらにトランプ大統領は唐突にロシアを加えてG8にすべきだなどと言い出した。この真意もよく分からない。

 是枝裕和監督の「万引き家族」がカンヌ映画祭で最高賞を獲得したが、その映画公開日の8日、佐賀県で46才の父親と長男・長女・元妻ら4人が万引きの現行犯で逮捕された。映画ではなく現実の万引き家族だ。映画は見ていないので内容は分からないが、このような現実の事件は、現在の日本の格差社会や貧困の拡大が投影された結果なのだろうか。生活保護を受けながら、就労している事実を隠して保護費を不正受給したり、老親の年金に頼って生活していた息子や娘が、親の死後もその事実を隠して年金を受給していたことが発覚した事件など、背景を探ると一方的に彼らを責められないという気にもなる。もちろん不正であり犯罪なのは間違いないのだが。映画「万引き家族」は安倍首相や麻生財務相にもじっくり見てもらったほうがいいのではあるまいか。

 今日の朝刊を読んでいたら「せんべろ」という見慣れない言葉が目に入った。数年前から使われるようになった結構ポピュラーな言葉らしいが、勉強不足でまったく知らなかった。「せんべろ」というのは「千円でべろべろに酔える安価な酒場」を意味する言葉のようだ。終身雇用制の崩壊とリストラの拡大、非正規労働者の増加と低賃金化、格差の拡大と貧困化、バブル崩壊後のそんな社会の急激な変化に伴って、酒を飲むスタイルも随分変化してきたと書かれていた。コンビニでお酒とつまみを買い、それを持ち帰って「家飲み」するのは単に経費の節約ということだけではなく、「個」の時間を大事にすることでもあると指摘する。その酒やつまみの写真をSNSに投稿することで仲間と共有すればそこに暗さや孤独感はない。いまの若い人たちは仕事帰りに上司や同僚と飲みに行くという習慣は昔ほどないようだ。最近増えてきたコンビニのイートインコーナーで、高齢者同士が缶チューハイや缶ビールを飲んでいる風景など少し前にはたしかに無かった。最近ほとんど電車に乗らないので分からないが、終電間近の駅のホームや車内でべろべろになった人は昔ほど見ることが無いのではあるまいか。

 いよいよ明日新潟知事選が投開票される。今回の知事選が注目されているのにはいくつか理由がある。それは選挙結果によって「柏崎刈羽原発の再稼働がどうなるか」「安倍政権の森友・加計問題がどのように選挙結果に影響するか」「秋の自民党総裁選・来年春の統一地方選挙・参議院選挙を占うものになるか」といったことが見えてくるからだろう。今回の知事選を前に、「原発は国政の問題であり、県民投票にはそぐわない」と論じている人がいたが、おかしな考え方だ。福島の原発事故を見ればそんなことは明らかだ。あの事故で最も大きな被害を受けたのは福島県民である。そして国がその後の7年間で福島県に対して十分な復興政策や補償をしてきたとも思えない。原発から遠く離れた永田町や霞が関にいては、福島の苦悩も痛みもわかるまい。新潟も同じような事故が起これば結果はおそらく似たようなものになるだろう。だからこそ新潟県民自身が決めるべきなのだ。果たして選挙結果はどうなるか。


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