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モラルハザードについて 

 油圧機器大手KYBグループによる免震・制振オイルダンパーの検査データ改竄問題で、昨日会社側が問題のある987件(免震904件・制振83件)のうち自治体の庁舎など70件を公表した。民間のマンションも多く含まれているとみられるが、住民からは資産価値が下がることへの不安から公表を望まないところが大部分のようだ。しかし近年このような大手企業の検査データの偽造・偽装・改竄といった不正が頻発している。いつからこのような酷い状況になってしまったのだろう。日本が高度経済成長していた時代にはこのような不祥事はこれほど起こらなかったように思うのだけれど、詳しく調べたわけではないので断言はできない。

 企業のモラルハザード(道徳的危険)は「自己規律の喪失」「倫理観の欠如」などとも言われるが、それが目立つようになってきたのはバブル崩壊後の1990年代後半あたりからではないだろうか。それまでなら想像もできなかった大手銀行の破綻、それに続くリーマンショックの影響で日本の経済は冷え込み停滞した。雪印乳業が集団食中毒事件を起こしたのが2001年、翌年外国産牛肉を国産と偽った偽装事件が発生して雪印は苦境に陥った。その後三菱自動車工業のリコール隠しが発覚、さらに東洋ゴム工業の免震装置の試験データ改竄、三菱自動車・神戸製鋼所・スズキ・スバル・三菱マテリアル・東レなどの燃費データ、品質検査データの不正が次々に明るみに出た。いずれも日本を代表する企業ばかりだ。

 不正の理由の多くは納期に間に合わないからというものだが、その理由は効率化のためのリストラを進めた結果の人員不足だ。そこからくる長時間労働で「ブラック企業」などという言葉が一般的になった。それらの発端は年功序列制や終身雇用制が崩壊した後の効率化や成果主義を追及した結果だ。非正規雇用や人材派遣やアウトソーシングが進められた結果、会社への帰属意識も薄弱になり、数字を上げるためにコスト削減ばかり考える。職場にも仕事にもゆとりがなくなり人間関係も殺伐としてくる。自己防衛のために上ばかり見ている「ヒラメ人間」が増えてくる。そんな様々な負の要因が重なり合って偽装事件が増大したのではあるまいか。そんな気がして仕方がない。

 そしてそのような企業の土壌は改善されているようには思えないし、組織内の制度化や監視体制の強化で不正が防げるとも思えない。根本的なところを変えなければ、いくら掛け声を大きくしても倫理観は直ちに向上などしないだろう。企業が利益や業績ばかり優先させるのではなく、従業員の労働環境を改善することが重要なのだ。「利益第一」から「社員第一」への転換を図らなければ不祥事は今後も続き、いつまでも無くならない。そして過去に多くの企業はその「社員第一」を実践してきたのだ。近年の企業の不正の続発は日本人の倫理観が突然低下したからではなく、「働きにくい」「働き甲斐の無い」「息苦しい」「達成感のない」「希望の無い」そんな職場の反映なのだ、おそらく。


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秋が深まっている。 

 今朝この秋初めて長袖のシャツを着る。街を歩いて周囲を見れば、コートを着たりしてもう冬に近い服装の人も多い。やはりどうもこちらの方がずれているらしい。汗をかきやすいので昔から厚着があまり好きではないのだ。山の上の方では紅葉が見頃らしい。街中の公園でも随分色づいてきている。しかし紅葉はやがて散っても来春には新しい芽が出て若葉が茂る。しかし人間はそういうわけにはいかない。植物の四季は何度でも毎年やってくるが人間は一度きりだ。どうも最近こういった後ろ向きのマイナス思考になりがちで困ったものだが。

 さいたまスーパーアリーナで一昨日予定されていたコンサートを、歌手の沢田研二が1時間前にドタキャンしたというニュースばかりが朝からテレビで流されている。今の若い人に沢田研二と言ってもほとんど知らないかもしれない。ちょうど50年ほど前のグループサウンズ(これも知らないか)ブームの絶頂期に、沢田研二とタイガース(グループ名だ)は最大のスターだった。その沢田研二ももう70歳なのだという。若い頃はスマートだったが、今はでっぷり太って腹が出たメタボ体型だ。テレビドラマの中で若き日の沢田研二のポスターを見ながら「ジュリーー!(沢田研二の愛称)」と身もだえしていた樹木希林も先日亡くなった。そういえばたしか「時の流れにこの身をまかせ・・・」と沢田研二は歌っていたなあ。

 テレビで沢田自身が経緯を説明していたが、ドタキャン(考えてみたらこの言葉もおかしな言葉だが)の理由は観客が少なかったからということらしい。主催者は9000人といっていたのに実際の観客は7000人で空席も目立ったそうだ。30000人も入るスーパーアリーナでやる実力がなかったと本人も認めている。しかし沢田研二のコンサートで現在でも7000人も動員できるとは驚きだ。新しいファンはほとんどいないだろうから、50年来の熱心なファンがそれほどいるということなのか。しかし自分の「意地」で1時間前にコンサートを急遽中止するというのは、どう見てもプロのすることでも、いい年をした大人の所業でもない。傲慢に思えるしファンを軽視しているのではないかと感じる。それとも過去の栄光が忘れられないのか、プライドが邪魔をして自分が見えなくなっているのか。

 しかしこの状況で混乱も起きず暴動にもならないというのは、ファンが優しすぎるからか、日本が平和なのか、日本人が生来おとなしいからなのか。外国人なら不思議に思う人もいるかもしれない。来場者は全員が自分のような暇人ばかりではないだろうし、それぞれが時間や生活をやりくりし、仕事の休みを取って遠方から来た人もいるだろう。チケットを払い戻せばいいという問題ではない。沢田研二のプライドは聴きにきた一人一人のファンには関係がない。仮に体調が悪かったということなら理解できないわけではないし、誰もが納得するだろう。もし自分が沢田研二のファンで同じような目に遭ったら、彼のコンサートなど二度と行かないし、彼の音楽自体を聴かなくなるだろう、おそらく(個人的には沢田研二にも彼の音楽にも過去あまり興味も関心もなかった)。大事なのは信頼関係だということはどのような場面でも共通している。ミュージシャンとファンの間に上下関係などないのだから。

 この騒動の教訓はある。いくつになってもどんな状況になっても「謙虚さ」は大切だということだ。

P1060770 紅葉

 沢田研二が反原発ソングや護憲の歌を歌っていることは少し前から聞いていた。もちろんそのような歌がテレビなどで流れるわけはない。彼がいつからどのような動機でこのような歌を作り歌い出したのかは知らないが、それが若いアイドル時代とは違った意味で彼の魅力としてファンに支持されているのだろうか。7000人の中にはそのような人も多いのだろうか。残念ながらその実態は詳しく知らない。

一握り人の罪         作詞 沢田研二

原発に乞われた町
原発に憑かれた町
神話流布したのは誰
一握り人の罪

原発に怯える町
原発に狂った町
繰り返すまい明日に
一握り人の罪
嗚呼無情


「みんな入ろ」は素朴なわらべ歌のような曲だが、最後の部分の「30年たったらみんなはいろ」を聞いた瞬間にどきっとする。

我が窮状       作詞 沢田研二

我が窮状守りきれたら 残す未来輝くよ
我が窮状守れないなら 真の平和ありえない

 もちろんこれは憲法9条改悪反対の歌だろう。「窮状」を「9条」とかけているのだ。現在の日本はまさに安倍首相と自民党政権による「9条改悪の危機」という「窮状」の中にある。何としても憲法9条を死守しなければならないと多くの国民は思っている。しかしそう思っていない国民もまた同様に多くいる。沢田研二はそんな日本に危機感を抱いてこのような歌を歌うようになったのだろうか。彼の歌にこれまでほとんど関心を持たなかった自分だけれど、これはもっと注目しなければならない。やはり無知と無関心は罪である。なぜならそのような無知と無関心が国や国民をとんでもないところに連れていくことは、たかだか70年ほど前の日本の歴史が嫌というほど見せつけたではないか。







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終わっている。 

 改造後の安倍内閣で問題大臣の最右翼と言われていた片山さつき地方創生相だが、早速週刊文春に国税庁に対する口利き疑惑を報じられピンチに陥っている。記者会見では「(記事は)事実誤認かつ不正確」であり、「当該週刊誌を可及的に速やかに名誉棄損で訴える準備を進めている」と語ったが、激高も興奮もせず口調は随分穏やかに聞こえた。あるいは弱気に見えた。「事実無根」と言わずに「事実誤認」と言ったのは身に覚えがあるということだろうか。「訴える準備を進めている」というのも随分のんびりしている。書かれた記事は事実に近いのではないか。もしそうなら恐らく訴訟には持ち込まないのではあるまいか。余計に不適切な事実が明らかになるだけだから。しかし勝算はなくとも形だけは訴えるかもしれない。結局は最後は甘利氏の時のようにとぼけ通して、ほとぼりが冷めるのを待つ腹だろう。どうにも哀れな人間たちだ。しかしレームダック化が近いと言われる安倍首相だが、このような元々不適格な人間を大臣に起用した時点ですでに終わっている。もっとも選ぶ本人が不適格なのだから救いようもないが。まだ同様な問題大臣は何人もいるようだが、次に問題を起こすのは果たして誰だろう。これで安倍政権の「終わりの始まり」が早まるかどうか、増々興味深くなってきた。


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今朝のニュース 

 
 神奈川県警津久井署は相模原市の他人が所有する雑木林から野生のクルミ71個(1200円相当)を盗んだとして、無職の男を窃盗容疑の現行犯で逮捕した。近所の人から「見知らぬ男が雑木林に入って何か採っている」という通報があり、署員が声をかけたところ逃げたために現行犯逮捕した、と書かれている。男は「地球に生えているものを採って何が悪い」と容疑を否認している。確かに本来山河や海洋やそこにある野生の動植物は誰のものでもないという考え方もあるだろう。たかだか2000年か3000年前には土地所有などという制度はなかったのだろうから。

 このニュースを見て思い出す。もう半世紀以上も前の中学生時代ことだが、秋になるとこの事件のように仲間と野生のクルミを採りによく山へ行った。いまはスーパーへ行けばクルミなどいくらでも売っている(輸入品がほとんどだろうが)が、当時は食べたければ山へ行って採るしかなかったのだ。採ってきたクルミは庭に穴を掘ってしばらく埋めておく。外側の果肉を腐らせないと中のクルミが取り出せないからだ。田舎ではそんなことは誰でもやっていたように思うが、今ではこの男のように捕まってしまうのだろうか。

 これを「世知辛くなった」というのだろうか。順法意識が高まったということなのか。それとも法の運用が厳しくなったのか。昔なら山の持ち主も自分が採らないのなら大目に見ていたのかもしれないが、今はそうではないのかもしれない。凶悪犯罪が増加すれば近所の人も不審者と思えばすぐに110番したくなる気持ちも分かる。クルミに限らずキノコでも山菜でも同じように窃盗罪で捕まる可能性はあるのだろうか。そこがもし国有林なら許されるのだろうか。この捕まった男も逃げないで謝れば、クルミ没収くらいでその場で放免されたかもしれない。

 しかし男の言った「地球に生えているものを採って何が悪い」という屁理屈には何か考えさせられるものがある。

DSC_0123 黒い雲



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健康診断とユリの話 

 健康診断のために朝から大宮まで行ってきた。ラッシュの時間は過ぎていたので満員電車に乗らずに済んでほっとした。7月の富山への旅行を別にすれば、電車に乗るのは今年3回目くらいだ。健診場所のクリニックはよりによって大宮ソニックシティビルの30階にある。高所恐怖症の人間にとってはあまり良いロケーションではない。強がって窓から下を覗いて写真を撮ってやった。地平線が何となく丸く見えるのは錯覚だろうか。それともこれが地球というものか。窓からの景色を見た直後の測定で血圧が上がっているかと思ったが、上が109、下が75とまったく正常値だった。

P1060766 大宮1

 帰りは埼京線を使って川越経由で帰る。川越の街をしばらく散歩して帰ろうと思ったが疲れてきたので止めにした。去年はたしか川越城跡や喜多院などを見て帰ったのだが。商店街の中の園芸店でユリの球根を売っていたので買って帰る。カサブランカ(白)とコンカドール(黄)とテーブルダンス(ピンク)を1球づつ買った。確かに大き目だが、たかがユリの球根が1球500円もするのである。ユリの球根は天ぷらなどにして食べても美味いのだが、もったいなくて食べる気にはなれない。来年の夏にきれいな大輪の花を咲かせてくれるといいのだが。

P1060769 球根





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また沖縄のこと 

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画をめぐり、政府は埋め立て承認撤回に踏み切った沖縄県に対する対抗措置として、行政不服審査法に基づく審査を国土交通省に求める方向で最終調整している。これにより撤回の効力停止を求める方針だ。政府は前回2015年に翁長前知事が埋め立て承認を取り消した際も同様の措置を取り、2016年に最高裁で沖縄県の敗訴が確定して工事再開につながった経緯がある。

 しかし考えれば考えるほどおかしなシステムである。政府が求めた審査を政府自身が審査するのである。これを「茶番」と言わずに何と言ったらいいのか。政府寄りの回答を出すことは初めからわかっているではないか。そして司法の最終的な審判も原発裁判の時と常に同じで、国や政府寄りの判決を出すことも今から予想できる。

 沖縄県知事選で玉城デニー氏が当選して、辺野古移設反対の県民の民意が再び示されたというのに、相変わらずこのような手法を取る安倍政権というのは何なのだ。「対話」など口先だけだということがまたしても証明されている。もういい加減に自身が言ったこととその行動を一致させるということを学んだらどうなのだろう。そうでなければやるつもりがないことなど初めから口にしないことだ。


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消費税率引き上げについて考える。 

 安倍首相が来年10月に消費税10%への増税を行うことを表明した。多くの国民はまた今度も延期するだろうと思っていたに違いない。安倍首相は過去2014年11月と2016年6月の2度、「個人消費を押し下げ、デフレ脱却が危うくなる」との理由で10%への増税を延期してきた。3度目の正直か。しかし現在が過去2回と状況が変わっているだろうか。まったく変わっていない。相変わらずの消費不況ではないのか。これでは単に力関係で安倍首相が麻生財務相や公明党に押し切られたからとしか思えない。

 毎回思うけれど消費税増税の前に徹底的な歳出削減の努力をしているのか疑問だ。しているならその内容を具体的に示すべきではないか。さらに増税分を何に使うのか不透明だ。その内容が曖昧なのだ。今回の10%への増税で5兆円の増収になるが、軽減税率で1兆円減るから実質4兆円だ。そのうち1.7兆円を幼児教育・保育無償化などの子育て費用、1.1兆円を年金改革、残りの1.2兆円を国の借金返済に充てる計画だ。「○○以外には一切使わない」と断言しないから、その使途に疑念を持ってしまう。国債を発行すれば片付くという安易な発想だから、いつまでも歳入に見合った予算を立てられない。国民は社会保障費以外に増税分を使うことには納得しないのではないか。

 今回増税対策として出された内容も首をかしげるものばかりだ。資本金1億円以下の企業や小売店を対象に2%の増税分をポイント還元するという内容もそうだ。中小の店舗が果たしてクレジットカードやスマホを使って買い物ができる環境になっているだろうか。現状がどうなっていて、増税に合わせて企業が設備を整備する余裕があるかどうか調査したのだろうか。あるいはどのくらいの割合の高齢者が、カードやスマホを使ってスムースに買い物が出来るか把握したのだろうか。

 軽減税率の内容を見ても混乱する状況が目に浮かぶ。ファストフード店で店内で食べると10%で持ち帰ると8%という税率の違いもおそらく混乱の元だ。レジ操作も煩雑で間違いが起きやすいし、大きな設備投資も必要だ。持ち帰るといって8%で会計を済ませた客が店内で食べていたら店側はどのように対応するのか。コンビニのイートインコーナーは8%なのか10%なのか。もし10%ならば店頭で食べる客が増えて近所からの苦情が増えるようなことも予想される。

 そのほか消費税還元セールも一時的なものだし、住宅ローン減税の拡充やエコカー減税の延長も、駆け込み需要は増えるだろうが効果は限定的に思える。

 これらのことを考えると多くは景気対策として大きな効果があるようには思えない。消費者の節約意識はさらに高まり消費が冷え込むのまちがいないだろう。大体このような政策を決める人たちが経済的にまったく困っていないという事実が、庶民の意識と大きく乖離する原因ではないのだろうか。実際に彼らは中小小売店で買い物することがあるだろうか。コンビニや牛丼店やハンバーガーショップに日常行くことがあるだろうか。8%が10%に上がって家計に響くという実感があるだろうか。官僚は自分の身分が保証されればいいと思っているだろうし、政治家は次の選挙で当選することしか考えていない。大企業や高額所得者も2%の違いなどどうということはないと思っている。混乱し、あたふたし、困窮するのはいつも低所得の庶民と年金生活者だけだ。そしてこのような日本の状況はいつになっても改善しない。

 しかし日本のような経済大国がなぜ北欧諸国のような手厚い社会保障制度がいつになっても構築できないのだろう。そしていつになったら国の借金はなくなるのだろう。自分が消費税増税に噛みつきたくなるのも老後の保障も安全も見通せないからだ。だから消費税増税論議の核心は本当に増税が必要なのかといった是非論よりも、多くの国民が国や政府を信用できないというところにある。個人的には安倍首相のことも安倍政権のこともまったく信用していない。それは森友学園・加計学園疑惑に対して安倍政権が取ってきたやり方を考えたらあたりまえではないか。

 また直前になって色々な理由をつけて増税を見送るといったことはないだろうか。安倍首相ならやりかねない。増税してもしなくてもこちらが信用しないことに変わりはないが。




 

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コルテスと戊辰戦争と朝鮮半島のこと。 

 ニール・ヤングの作品に「Cortez The Killer」という曲がある。「ZUMA」というアルバムに入っていて、抑制されたニール・ヤングのソロギターが印象的な名曲だ。タイトルは文字通り「殺し屋コルテス」という意味で、コルテスとは1521年メキシコのアステカ帝国を征服したスペインの探検家のことだ。同じく後にペルーのインカ帝国を滅ぼしたピサロと共によく知られている。コルテスはその征服の過程で何万人ものインディオを虐殺したと伝えられている。何分昔の事だから、事実がどうだったのかは分からない。詳しい文献はあるのだろうが不勉強で読んでいない。16世紀初めに南北アメリカ大陸を征服したコルテスのような冒険者たちのことを「コンキスタドール」と呼ぶらしいが、スペインの紙幣に肖像画が使われているくらいだから彼は国家の英雄ということなのだろう。ニール・ヤングはそのコルテスのことを「殺し屋」と歌ったわけだから、発表当時スペインではバッシングが起き、この曲が放送禁止になったのも当然と言えないこともない。ニールがどのような意図でこの曲を作ったのかは知らない。随分昔のことなのに国民感情というのは単純ではない。それとも「ほとんどの人間は本来的にナショナリストだ」ということだろうか。

 今日の朝刊に会津藩と薩摩藩の確執を書いた記事があった。昨日見たNHKドラマの「西郷どん」では官軍が抵抗する彰義隊を壊滅させ、越後の長岡藩に苦戦しながらも勝利した場面だった。しかしなぜか会津藩との攻防戦はまったく描かれず、すぐ新政府の場面になって西郷は薩摩に帰ってしまった。「勝てば官軍」の言葉が象徴するように薩長は勝ったから官軍になったのであり、もし負けていたら歴史はどうなっていたか分からない。日本中の各藩もたまたま幕府側と討幕側のどちらかに分かれただけであり、本来そこに悪も正義もない。だから尊王思想を持っていた会津藩にとってみれば「朝敵」「賊軍」と呼ばれることには我慢ならなかっただろう。戊辰戦争終結後会津藩は取り潰されて藩士は四散し、もちろん明治新政府の中枢に入ることもできなかった。だから会津藩の武士や農民にとって薩摩藩は憎むべき天敵なのであって、100年以上経ってもその子孫の福島県人が未だに鹿児島県にたいして抱いている憎しみや嫌悪の感情は、部外者には簡単に理解できないだろう。その感情は弱者が強者に対して持つ「憤り・怨恨・憎悪」を意味するフランス語の「ルサンチマン」という言葉のニュアンスに近いのかも知れない。

 先日韓国で行われた観艦式で、日本の自衛艦に旭日旗を掲げないように韓国政府から求められた日本政府はこれを受け入れず、観艦式への参加を見送った。その済州島での観艦式で韓国の艦艇が、16世紀の文禄・慶長の役で朝鮮に出兵した豊臣秀吉軍を破った、抗日の英雄と呼ばれる李舜臣将軍を象徴した旗を掲げたことが波紋を呼んでいる。韓国政府は事前に参加各国に自国と韓国の国旗だけを掲げるように要請していたが、韓国自身がこれに矛盾した対応を取ったためだ。「自国と韓国の国旗だけ」という要請も明らかに日本を意識したものだろう。しかし一連の韓国政府の言動の意図がどこにあるのか、よく分からない。不可解だ。韓国国内の対日感情が悪化していることの表れなのか。

 それともたとえ何百年経とうが、過去の歴史から自由になるというのは容易いことではない、ということなのだろうか。人間の感情は微妙で複雑だ。


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キノコのこと 

 昨日久しぶりに庭の手入れをしたので、枝や葉を切った大量のゴミが出た。今朝5時にそれを近くのゴミ集積所まで運んだ。あたりはまだ真っ暗だ。2~3カ月前だったらとっくに明るくなっている時間なのに、随分日が短くなったものだ。最近は夕方でも5時前で暗くなる。おかしなものだが明るい時間が短いと何となく損をした気分になる。

 長野県でキノコ採りに行った人が遭難する事件が急増している。昨日までに19件発生して11人が死亡、3人が行方不明になっている。例年に比べて非常に多いのだそうだ。なぜそれほど多いのかと思ったら、今年は野生のキノコが大豊作だと書いてある。猛暑と9月の多雨、残暑がなく朝晩涼しくなったことなどの天候がキノコの生育に適していたということらしい。遭難する原因は採取に夢中になって道に迷ったり、斜面で滑って転落することによるようだ。遭難者の多くは高齢の男性である。たくさん取れる場所を他人に教えずに一人で入山する人が多いようで、それが発見を遅らせる原因にもなっている。警察は行く場所を家族に伝えておくことや一人で行かないように呼びかけているが、秘密の穴場を誰にも教えたくない心理は理解できる。

 キノコ採りなど行ったことがないし、行きたいと思ったこともない。キノコもそれほど好きではない。詳しくもないから毒キノコを食べて中毒するのも心配だ。しかしキノコ通に言わせると野生にはとても美味いキノコがあるのだという。普段ほとんどの人はスーパーで売っている限られた種類のキノコしか口にしないだろう。シイタケ・シメジ・エノキダケ・マイタケ・エリンギと言った(裕福な人はマツタケ)。だからそれ以外に美味しいキノコがあるなどということは知らない。キノコ採りに行く人はその美味しさを知っていて止められないのかもしれない。しかし何事も「命あっての物種」である。


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もう人生の秋は過ぎている。 

 昨日の朝、この秋初めて寒いと感じた。夏からずっとタオルケット一枚だけで寝ていたのだが、昨夜は初めてその上に毛布を掛けて寝た。体感だけでなく今朝も同じくらい気温は下がっていた。天気予報を見るとこの先概ね最高気温が20度前後で、最低気温は15度くらいだ。これで平年並みということなのだろうが、あれほど不快だった夏の蒸し暑さが懐かしくなるのだから、人間というのは随分勝手なものだ。

 何度か書いたけれど慢性鼻炎のせいか数年前から嗅覚が衰えてきた。視力や聴力の衰えに比べれば実害は少ないと言えないこともないが、逆に情緒的な面ではより喪失感が強い。たとえば淹れたてのコーヒーのいい香りが分からないとか、金木犀のそばを通ってもその甘い匂いに気づかないとか、新刊書のページを開いた時の紙とインクの混ざったあの独特な匂いがしないといった瞬間にふと淋しさを感じてしまう。ニンニク料理の強烈な匂いや生ごみの腐敗臭や煙草の煙の嫌な臭いだけはなぜか分かってしまうのが不思議で、それが余計に恨めしい。

 雨が上がったので午後は家人と二人で庭仕事をする。夏になってから何もせず放任していたので庭木も雑草も伸び放題だ。3時間ほどで結構きれいになってきた。しかし真夏にこれだけやったら熱中症になったかもしれない。涼しくなって庭仕事をするのが本当に楽になった。今日は道路に面した外回りを中心にやったので、次回は中をやる予定だ。春に植えたゴーヤのつるから最後の3個を収穫する。大地の恵みに感謝してゴーヤチャンプルーを作って夕食に食べる。

P1060750 ばら
名残のバラが1輪咲いていた。



 

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本と古本の話。 

 今朝の朝刊のコラム「天声人語」に「ブックバス」という聞き慣れない言葉が出ていた。どうやらバスを使った古本の移動販売のことのようだ。長野県上田市に拠点を置く古本のネット販売会社バリューブックスの記事だった。アマゾンを利用することがないのでこの会社のことをまったく知らなかったが、ネット販売や古本カフェの営業のほかにも様々なユニークな事業を行っていることを知った。

 全国出版協会の調査によると、2017年の紙の出版物の推定金額は前年比6.9%減の1兆3701億円(書籍が3.0%減の7152億円、雑誌が10.8%減の6548億円)で、13年連続で前年を下回った。一方電子出版物は前年比16%増の2215億円と好調(その8割はコミック)だ。電子書籍は好調だが全体から見た割合は14%程度で、やはり圧倒的に多いのは未だに「紙の出版物」なのだ。しかし売れないのは新刊書だけでなく古本も同じだ。従来の古書店は廃業が相次ぎ(1999年に22296店あった全国の古書店が2017年には12526店と半分近くに減っている)、新古書店大手のブックオフも3期連続で赤字を計上し業績不振に苦しんでいる。2010年に1100店以上あった店舗が2018年には825店と急激に減少している。不振の大きな要因は買い取り額の減少だが、その原因は本離れ・電子書籍化・安い買い取り価格だと言われている。結果的にアマゾンやメルカリなどのネット販売に負けているのだ。

 新刊書の出版が続く限り古本も増えていく。しかし古本が売れなくなるということは、店頭に並ばずに処分されて古紙になる本が増えるということだ。これは悲しいことである。駄本ならともかく中には良書や貴重な古書もあるだろう。そしてそれらは一度消えたら二度と目にすることはできない。

 コラムの記事に古本の販売は「残す意思の連鎖」だと書かれていた。その言葉にはビジネスだけではない、大袈裟に言えば文化を守る、後世に伝えるといった響きを感じる。ただ売るだけではない、バリューブックスのような社会貢献を目的とした多彩な活動が今後ますます求められるのだろう、1冊でも多く古本を守るためには。


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オプジーボのこと 

 今年のノーベル医学生理学賞は京都大学の本庶佑教授が受賞して日本では盛り上がっている。無知でお目出度い自分も、その中身もよく分からずに本庶氏の快挙を喜んでいたわけだが、ことはそれほど単純なだけではなかった。

 受賞理由は免疫機能のブレーキを解除する(つまり人間の体内には免疫機能にブレーキをかける芳しくない物質や機序があるということなのだろう、おそらく)ことにより癌の治療法を確立したことだ。この研究が新型癌治療薬「オプジーボ」に結びつき、新たな治療法として注目されているのだ。

 これまで癌治療は手術・放射線治療・抗がん剤の三つが柱だったが、免疫療法は第四の治療法として期待されているのだ。しかし癌免疫療法で使われる「オプジーボ」は非常に高価な薬だ。当初この「オプジーボ」は「1人年間3500万円かかる」と言われていたようだ。それがあまりに高すぎるからか、政府は三度もその価格を引き下げた。それでもなお「1人年間1000万円」と驚くような高額だ。公的保険の3割負担と高額療養制度を使っても「年間100万円程度の負担」になる。まったく手が届かない金額ではないが、それでもこの負担は大きい。誰でもが積極的に使えるというわけではない。そしてこの高価な「オプジーボ」を公的保険を使って利用する人が今後もし急増すると、高齢化の影響で逼迫している健康保険財政はますます厳しくなるだろう。その対策としてはこのような高額な治療薬の保険適用を見送るか、薬価をさらにぎりぎりまで下げるしかないが、この薬に最後の望みをかけている人にそのような無慈悲なことは出来ないだろうし、新薬の開発に莫大な資金を投入している製薬メーカーにしても一定の価格を維持しなければ開発費も回収できないだろう。今後の新薬開発の足かせになる可能性もある。難しい問題だ。

 自分が無知でお目出でたいと言ったのはそういうことだ。ノーベル賞受賞は素晴らしいが、それが実際に人々の役に立って、多くの人がその恩恵を受けるまでには様々な困難やいくつもの壁がある。それらをひとつひとつ克服しながら医学や科学はここまで発達してきたのだろうが。

 毎日新聞のこんな記事もあった。「『夢の治療薬』と期待ばかりが先行しているが、オプジーボの治療効果は限定的で『特効薬』とは言えない。副作用もあるため、『過度の期待は禁物』だ。」

 やっぱり世の中はそれほど甘くも単純でもない。




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古い革袋が好きな人たち。 

 選考関係者のスキャンダルで今年のノーベル文学賞の発表が見送られたが、その今年限りの代替賞としてニュー・アカデミー文学賞が創設された。スウェーデン国内の図書館司書たちが選んだ世界の作家47人の中からインターネットで人気投票をして4人を選んだ(村上春樹はその一人だったわけだが辞退した)後、最後は編集者や大学教授らの審査員が受賞者を決めるのだという。これに対してノーベル文学賞は高名な学者や作家が受賞者を決めるのだが、その選考過程は半世紀も秘密にされるし、授賞理由も明確には明かされない。とても不透明だ。

 この二つを比較しても違いは歴然だ。ノーベル賞は権威的で秘密主義だ。このような形態が特権意識や腐敗や汚職を生むことは過去の歴史が散々証明している。もっとオープンにすべきではないのかという声はある。スウェーデン・アカデミーにはこれを改革しようというような動きも考えもないのだろうか。日本でも数年前から全国の書店員の投票で受賞者を決める「本屋大賞」という賞が作られた。現在ではその受賞作は芥川賞や直木賞の受賞作よりも出版部数が多い(つまりよく売れる)と聞いた。芥川賞や直木賞の選考委員は過去にこの賞を受賞した作家たちだ。何であれ大衆から乖離したものは次第に形骸化し、その存在意味も失っていく。それもまた過去の歴史が証明している。

 権威や特権意識を重んじる人間は何でも秘密にすることが好きだ。公開すると批判され自分の立場が危うくなるからだ。既得権益を失いたくないのである。それは政治の世界でもスポーツの世界でも同じだし、そんな実例を最近の日本でもたくさん目にした。どの国でもどの世界でも人間のやることは大して違わないという事実は興味深い。

 個人的には従来からノーベル賞に大して関心を持っているわけではないので、ノーベル賞の今後にもそれほど興味はない。しかしここでもまた「新しい酒は新しい革袋に入れろ」という聖書の教訓がきっと役に立つ(新約聖書・マタイの福音書9:17)。


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リノリウムのこと。 

 もう前期高齢者である。老化に伴って医療機関へ行く機会が目に見えて増えてきた。もちろん重篤な症状のためではまったくない。咽頭痛とか慢性鼻炎とか花粉症とかドライアイとか歯周炎とかその類だ。だからほとんど行くのは小さなクリニックだが、たまには大きな病院に行くこともある。

 10代から20代の頃、小説を読んでいるとかなり頻繁に「リノリウムの床」という言葉が出てきた。辞書で調べればすぐ分かるものを、そうせずにどんなものなのだろうと想像していた。リノリウムの床の描写が出てくるのは、ほとんどが病院の待合室や病室に向かう廊下を主人公が歩いていく場面だ。「リノリウム」という言葉には何とも言えない都会的な、あるいは文学的な、あるいは凛とした響きが感じられた。理由はよく分からないが、それは例えば「サナトリウム」などと同質な響きだ。もっともこれが「リノリューム」ではまったく駄目なのである。

 リノリウムの説明には「亜麻仁油・石灰岩・松脂・木炭・コルク粉・ジュートなどの天然の材料を混ぜて作られる」と書いてある。見た目は単なるビニール製の床材なのだが、耐久性・耐熱性・弾力性に優れ、抗菌作用もあるということだから、病院の床には最も適した素材なのだろう。いつから小説に登場するようになったのか調べれば、それが随分昔からだと分かるだろう。今も変わらず病院で多く使われているのかどうかは知らない。もっと性能の優れたコストパフォーマンスがいい素材が新しく開発されているかも知れない。

 古典小説の時代からリノリウムと書けばそこは病院という約束事ができていたのではあるまいか。つまりリノリウムは病院のメタファーということにもなる。小説の描写の中に「フローリング」や「カーペット」というのはほとんど出てこない。もっとも古典小説の時代にはそんなものはまだ生まれていなかっただろうが。自分にとってリノリウムは「清潔だが冷たく無機的」なイメージだ。そしてどうしてもそこに不吉な死の影を連想してしまう。だからリノリウムという言葉からは「病院で回復して元気に退院していく」というイメージがどうも沸いてこないのだ。

 今日も大きな大学病院のリノリウム(おそらくそうだろう)の廊下を歩いてきた。自分の必要のためではなく、付き添いというか送迎というか、そんな役割で付いて行っただけだが。


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秋の風景 

 8月に膵臓癌のために亡くなった翁長前知事の県民葬が行われた。菅官房長官が安倍首相の追悼の言葉を代読したが、「(沖縄に基地が集中する)現状は容認できず、基地負担の軽減に向けて確実に結果を出していく」という言葉は、追悼というよりも沖縄県民に喧嘩を売っているように自分には聞こえた。沖縄の人たちはどう感じたのだろうか。菅官房長官に投げつけられた「嘘つき」「帰れ」という怒号が沖縄県民の感情を代表しているのは明らかに思えるが。

 加計学園の加計理事長が記者会見で、安倍首相との面会を改めて否定した。しかし普通の感覚を持っている人なら、あの会見での加計氏の発言の空虚さと幼稚さに恥ずかしさと怒りを感じずにはいられないだろう。仮にも大学も運営している学校法人の理事長であり、日本私立大学協会の理事でもある。しかしこの人の言っていることはまるで小学生並みだ。この人はおよそ羞恥心や矜持というものを持ち合わせていないように見える。このような人格が完成するまでに一体どのような人生を歩んできたのだろう。自分の生き方について考えるなどということがたまにはあるのだろうか。どちらにしてもこのような人に何かを求めたり期待するのは無駄だということが会見ではっきりした。このような人間には「黙殺」という言葉と対応だけが相応しいのだろう。加計疑惑が解明されずに終わることだけはどうにも容認し難いが。

 去年の健診で胃に影がある(正確にはどう言われたか忘れた)と言われ、今年5月ごろ胃カメラの検査をした。治ってはいたが胃潰瘍の跡があるのでピロリ菌の検査をしましょうということになった。結果ピロリ菌がいたので除菌することになったが、1回目の除菌に失敗して除菌薬を変えて2回目を受けた。今日その結果を聞きにいったのだが、幸い今回は成功でピロリ菌はいなくなった。ピロリ菌は自覚症状はないが、胃潰瘍や胃癌になるリスクを高めるということが分かってきている。もちろんピロリ菌がいなくなったからといって胃癌にならないということではない。ピロリ菌は経口感染すると言われているが、はっきりした原因はわかっていない。衛生状態に影響されるとも言われているが、上水道が整備された現在、若い人が感染している確率は低いそうだ。しかし現在60歳以上の人の80%は感染しているとも言われる。井戸水や山の沢水などの所謂「生水」が原因とも書かれていた。水道水以外は一度沸騰させてから飲むのが安全だ。そういえば子供の頃井戸水も山の水もよく飲んでたなあ。

 風疹の今年の累計患者数が952人となり、昨年1年間(93人)の10倍を超えたというニュースを見た。今年は大流行の兆しがあるようだが理由は知らない。風疹(三日はしか)と麻疹(はしか)は熱が出て発疹が出るなど症状が似ているが、麻疹のほうがより重いらしい。子供のころ両方罹患したような気がするが確かではない。ワクチンの予防接種もしたと思うのだがそれも記憶は曖昧だ。何しろもう半世紀以上前のことだからよく覚えていないのだ。そんな昔にうったワクチンでもいまだに効果があるのだろうか。まあもし感染したら運が悪かったと思って諦めよう。しかし今年はなぜそれほど風疹が流行しているのだろう。もうしばらくすると今度はインフルエンザが流行する季節になる。しかし高齢化した社会は感染症の流行に対して脆弱だ。さらに昔と違って人々の移動距離の長さとその移動の早さが流行を加速させる。情報の伝達速度と同じように流行の速度も速くなる。グローバリズムは国外から国内へ容易に様々なウイルスを持ち込んでくる。危険なのはコンピューターウイルスだけじゃない。

 You tubeで多部未華子の歌う「悲しくてやりきれない」を聴いていたらこっちまで泣けてきた。多部未華子がこれほど聴く側の心を打つ歌い手とは知らなかった。女優というのは日頃から表現力を磨いているからだろうか。サトーハチローの詞は素晴らしいし、加藤和彦の曲も素晴らしい。このような曲を名曲というのだろう。9年前に加藤和彦が62歳で自死し、去年はしだのりひこもパーキンソン病のために72歳で死去した。一人残った北山修はまさに「悲しくてやりきれない」心境だろう。

 木村弓の歌う「いつも何度でも」は2001年に公開された宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」の主題歌だったのに、その印象があまりない。当時はそれほど聴く機会もなかったが、最近なぜかとても気になってよく聴いている。歌っている木村弓の曲も、覚和歌子という方の詞も素晴らしい。とくに詞の


繰り返すあやまちの そのたび ひとは

ただ青い空の 青さを知る


生きている不思議 死んでいく不思議

花も風も街も みんなおなじ


という部分が好きで、聴きながらいろいろなことを考える。多くの人がカバーしているが、作詞者の覚和歌子が歌っているものもとてもいい。

 もう半世紀近く前の曲だが、荒井由実の「ひこうき雲」も名曲というしかない。彼女がこの曲を15歳の時に作ったというのは本当に信じがたい。天才である。

 こうして好きな曲を聴いているうちに時間はあっという間に過ぎ、夜は更けていく。しかしあまり見たくも聞きたくもない最近のニュースなどよりも、このような名曲を聴いている方が数倍も精神衛生上有益だ。本当にそう思う。








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ノーベル文学賞と村上春樹 

 去年の今頃はカズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞して、日本でも随分話題になっていた。彼のことをよく知らなかった多くの人たちがその作品を読んだのではないだろうか。1年経ってまた元に戻ってしまったような気もするが。スウェーデンアカデミー内の性暴力疑惑で、今年のノーベル文学賞の授賞が見送られることは5月に発表されていた。例年なら村上春樹の受賞を巡る話題が報道される時期だが、そんなわけで今年は静かである。村上春樹は今年9月、2018年限定で創設されたノーベル文学賞の代替賞とも言える「ニューアカデミー文学賞」の選考を「マスコミに注目されずに執筆に専念したい」という理由で辞退した。有力候補の一人だったようだが。

 長編小説「騎士団長殺し」の英語版がアメリカで発売されるのに先立ち、村上春樹が先日ニューヨークで行われたイベントに参加した。その中で小説家として大事なことは「払った税金の額を言わないこと、過去のガールフレンドや元妻について書かないこと、そしてノーベル文学賞について考えないこと」と語っている。このユーモラスな発言は興味深い。とくにノーベル文学賞についてのくだりは。彼もこの賞について思うところは少なくないのだろうが、その本心はこちらには分かりようもない。しかしノーベル賞というのはやはり他の数多の賞とは別格の存在なのだろうか。あまりに無縁なものだから、その存在の大きさや名誉についてじっくり考えたこともなかったが。

P1060749 カズオイシグロ


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臨時休業のお知らせ 

 誠に勝手ながら10月11日(木)は臨時休業させていただきます。

 よろしくお願いします。

                   古本カフェ     午後の時間割


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寒露 

 忘れていたが今日は二十四節気の寒露なのだった。野草に宿る露も冷たくなるという意味で、秋の長雨も終わって本格的な秋のスタートという時期なのだろう。昨日はあれほど暑かったのに今朝は少しひんやりしていた。ようやく寒露に相応しい陽気になってきたということだろうか。

 今日はどこにも行かないつもりでいたのだが、いい公園があるよと教えてくれる人がいて、その公園にふと思い立って行ってきた。隣の入間市にある「彩の森入間公園」というところだ。着いたのは午前9時くらいだったが、連休だからか結構人がいた。公園内のコースでジョギングやウォーキングを楽しんでいる人が多い。こちらはベンチに座ってぼんやり池や木を眺めていただけだ。まだわずかだが桜やカツラやポプラの紅葉(黄葉)も始まっている。

P1060717 池2
P1060718 池1
スイレンの中にサギがいた。ほかにカルガモもいる。
P1060722 ススキ

P1060723 池A
P1060728 池B
P1060732 紅葉1
P1060734 紅葉2
P1060737 サクラ
P1060739 カツラ
P1060740 カツラ2
P1060741 ラクウショウ1
P1060742 ラクウショウの実
ラクウショウの実
P1060747 コキア



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振り返る。 

 今日の夕方には各高速道路の上りは激しい渋滞になると言っていた。連休で遠出する人も多かったと見える。去年の連休は何をしていたのだろうと、当時のブログを捜して読んでみた。日曜日は所沢祭りを初めて見に行ったのだ。そして月曜の体育の日は家人と二人で秩父に出かけた。去年は二日とも夏が戻ったように暑かったことを思い出す。今朝は比較的涼しいが昨日はやはりとても暑かった。天気予報によると10月の最高気温を更新した地点も多かったようだから、やはり「季節外れ」ということだったのだろう。台風25号の影響のようだ。去年の10月22日は衆議院選挙の投票日だった。台風の接近で雨が強くなってきたと書いてあるが、たしか雨の中を投票所に行った。こうしてみると何だかんだ言っても毎年似たような気候なのだということがわかる。昔から日記をつける習慣がなかったが、こうしてブログを書いていると過ぎた日のことが分かって結構面白い。今日は朝から曇っている。とくにこれといった予定はない。


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バカマツタケのこと。 

 兵庫県のメーカーが「バカマツタケ」の完全人工栽培に成功して株価が急騰したというニュースをみたが、それほどインパクトが強かったのだろう。バカマツタケは名前は悪いが、形はマツタケに似て香りも強く味も美味しいのだそうだ。マツタケは赤松林にしか生えないがこれはミズナラやコナラなどの広葉樹林に多く生えるようだ。と言ってもめったに見つからないそうで、その希少性から市場に出回ることはないと書いてある。おそらく食べたことのある人も少ないのだろう。マツタケの人工栽培は長年取り組まれてきたが、未だ成功していない。マツタケの人工栽培と鰻の完全養殖に成功すればノーベル賞ものだなどとよく言われる。マツタケが上手くいかないのになぜ同じような性質のバカマツタケが成功したのだろう。企業秘密なのだろうから教えてはくれないとは思うが。もしシイタケやエノキダケのように量産できたら、誰もが手軽に安価に高嶺の花であるマツタケの味と風味を楽しめることになるだろう。もっとも滅多に食べられないから食べた時の感動が大きいのだ、という考え方もあるかも知れないが。しかし余計なことかもしれないが、「バカマツタケ」という名前だけは変えた方がいいのではあるまいか。



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